2010年 03月 15日 ( 1 )

b0057679_9494425.jpg
60年は時間がいくらあっても語り尽くせない
違う話を書きかけていたのだが、昨夜のテレビは碌なものがなく何気にテレ番を見たらそこに「吉本隆明」の文字が、早速見始めたのだが直ぐに仕事場にノートと鉛筆を取りに行った、メモを取りながらテレビを見るのは滅多にないことで、普段は取ってもちょっとした走り書き、番組は再放送だが教育テレビの「ETV特集」だったのでトイレも行かずお茶も飲まず90分びっちり拝聴いたしました、内容は親交のあった糸井重里の計らいで行われた2008年夏の講演会をベースに製作されていた

「僕の本なんか読んでいない人に、どうやったら分かってもらえるかが勝負です」と言うだけあって、彼の著書から理解するには少し難しい彼の生き様と思想が分かり易く語られていく

学徒動員で富山県魚津のカーバイト工場で働いていたときに終戦を迎え玉音放送を聞いている、軍国少年の彼にとって大きな転機を迎えた、それまで読んでいた本を全部処分しそれまでの「世界を知る方法を考えたことがなかった」と猛勉強、それがアダムススミスからマルクスに至る「古典経済学」で、アダムスミスの判りやすさに感銘を受ける

マルクス以後の彼の思想は色々な著書で語られている、安保闘争の学生にはまさにカリスマ的存在で埴谷雄高や谷川雁と共に難解にもかかわらず読まざるもの討論に参加不可だったのだ、代表的な著書に「言語にとって美とはないか」がある、貧乏学生だった私は友人が買った本を借りて読んだのだが難しかったと言う記憶しかない

先のアダムスミスからマルクス、文学では森鴎外「半日」と夏目漱石「三四郎」との比較、さらに桑原武夫の「第二芸術論」に書かれた芭蕉とポールヴァレリーの比較に対し、小林秀雄の言葉を借りての反論などとても分かり易い

テーマが「芸術言語論」だったのが、最初の問いかけが言語とは人とのコミュニケーションではなく「沈黙」であるから始まった、沈黙を「自己表出」として捉えそこに芸術性を認め、言語によるコミュニケーションは「指示表出」としての単なる伝達として捉えている

「芸術の価値」とはものを見て感動したとき、沈黙に近い所から出てくる片言にある、それが「自己表出」

小説のように芸術は説明すればするほど遠ざかっていく、吉本の言う言葉と言う概念を文学で捉えていたのが日本では横光利一であり世界ではドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」、つまり指示表出と自己表出を文学の中で表現している

現代は知識も方法も遙かに豊富だが、「多く知っている方が良いという考え方は芸術には当てはまらない」という吉本のとらえ方はよく分かります、難解な言葉で説明するわけではなく、こうして表現しにくい話し言葉で少し「宙」を見つめ言葉を探し探し語りかける彼の姿は感動的でありました、また彼は他のお偉いさんの学者と違って新しいメディアにも積極的発言してきている

彼は1924年生まれ、糖尿を煩っていてさらに高齢で車椅子生活だが、予定時間を過ぎてもずっと語る続ける姿はエネルギッシュであります、糸井重里が講演から暫くして彼の自宅まで理解出来なかったことを質問に行くのだが、話が終わりゆっくりと彼が立ち上がり腰を屈めながら廊下の向こうへ去った後、向こうから真っ白な猫がやって来る絵が非常に印象的でありました

映像としての判りやすさは彼の言葉にもあるが、編集という技術のおかげかもしれません、直ぐに書かないと記憶が薄れそうだった、簡単なメモを基にして書いたのだがどうも私の文脈がヤバイ、下の写真の本の内容については質問しないで下さい(笑)
よく見たら著名な「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「情況」などの本がない、しかし晩年異常なほどの数の本が刊行されているのだが・・・
b0057679_9495587.jpg

by PUSH-PULL | 2010-03-15 10:15 | カルチャー | Comments(2)

公園ののららちゃん 良い顔してます


by PUSH-PULL