久しぶりに生まれ故郷の伊勢の横輪村へ帰った、先日富山で密葬した姉の納骨のためで我が家の墓はこの横輪にある、人口は今では百人ぐらいだと聞くがお寺は立派である
住職は一度姉と同じ脳梗塞で倒れたとかで仏説阿弥陀経がか細くほとんど聞こえないぐらいだ、暑さとともに不謹慎ながら睡魔が秒単位で襲ってくるのには参った
無事法要を済ませた後骨壺を持ち猛烈な日差しの中お墓に向かう、お墓の前でのお経はの時は頭のてっぺんから体中を汗がしたたり落ちているのが判るぐらいだ、大阪を出るとき正装をしていたのだが表に出たときの強烈な日差しで直ぐに家に戻り上着を置いていくことにした、おかげで上着に入れていた数珠を忘れてしまい焼香の時兄に借りる有様だった
お墓は日陰もなくただただ暑い、もうツクツクボウシのが鳴いているのだがこの声を聞くのは久しぶりなような気がする、大阪はアブラゼミばかりで数年前からミンミンもヒグラシも他の蝉の鳴き声を聞かなくなってしまった、しかし谷間にいるのに周りを取り囲むような蝉の声はない、聞くと村も年々水が少なくなり虫がどんどん減ってきているらしい
兄弟の中で一番先に姉が入ってしまった、最初脳梗塞を患ってから33年、2度目からは病院の車椅子生活の17年、彼女は何を楽しみに生きていたのだろうもう何も聞くことも出来ない、お墓を見ながらいずれ私自身もここにはいるのかと思うと妙にむず痒いものがある
ここで生まれたと言っても勿論記憶はない、毎年の夏は一ヶ月ほどこちらで生活し川や山を毎日走り回っていたので、どの景色や家を見ても非常に懐かしい
村の役場があった場所は補助が降りたか何かで立派な道の駅が出来ていた、直ぐ横の山は散策路がもうけられ横輪桜が植林され春には結構見物客が多いと聞く、ガキの頃川ガニの仕掛けをした川は街からの子供たちで結構にぎわっている
この川を下ったところの鮎のしゃくり釣りをした場所や、深い落ち込みのある「おせん淵」や鰻釣りをした場所は今はどうなっているのだろう?こんどはゆっくり遊びに来るつもりだ
私はこの村に伝説がある、子供の頃この村に来ると親戚に挨拶に行くのだが必ず言われるのは
「おお、よう来たにゃあ、大阪の佐蔵家(さぞげ)の赤ん坊の時犬にさらわれた子か」と