セブンティーン

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尾崎豊
少し前だがテレビで尾崎豊のライブ映像をドキュメンタリー風に流していた、あの逆光の光の中で唾を飛ばしながら「卒業」を切々と歌うシーンは断片的には知っていたが全部見たのは始めてである、ただ一言「凄い」
これが19才の少年なのだろうか、ひたすら彼の能力に感動したのである

好きとまでは行かないまでも、勿論彼の歌を死ぬ以前から知っていたし、ニューヨークへ行ったことや度重なる覚醒剤の末1992年、26才の若さで死んだことも

テレビの映像は1985年まだ大阪のナンバに大阪球場があった時に行われた尾崎豊19才のライブである、他のリハーサルシーンの若々しい尾崎の姿の映像を見たのは始めてで、ひょっとしたらこの卒業の映像も始めてかも知れない、と言うのは大阪ライブは映像として市販されていなかった

フォークソングのように自分自身をさらけ出してオープンに唄う歌は昔も今もなかなかなじめない、聴いているだけで恥ずかしくなるのだ、生き方として素直で無いというかダイレクトなモノを否定しているのかもしれない

尾崎のライブを見ていてびっくりしたのは私が持っていた彼のイメージとかなり違っていたのである、バラードを唄う時以外のライブはまさにロックなのである、U2のボノではないがステージに組まれた照明のタワーに素手で最上段まで上り詰め唄う、あわててスタッフが後から追いかけ服の端を落ちないように捕まえている 

ライブで見る彼はハンサムで爽やかで何よりも格好いいのである、私が彼の下の世代だったらきっと少し斜に構えたファンだっただろう

「ひとつだけ解かっていたこと、この支配からの卒業」 
「仕組まれた自由に誰も気づかずに、あがいた日々も終わるこの支配からの卒業、闘いからの卒業」 

彼の歌は総て過激な歌詞でありしかも早熟である、デビュー曲の「15才の夜」も卒業と良く似たイメージで繊細な少年の揺らめきが切々と綴られている

「17才の地図」というアルバムを知った時、私は同じく大江健三郎の小説「セブンティーン」(1961)を思い出した、小説と歌と言う違いはあるが同じ高校生のどうしようもない苛立ちがそこにはある、大江の小説には常に政治性が内包されている、丁度同じ問題を抱えていた私は「死者の奢り」を始め「飼育」「芽むしり仔撃ち」などで強烈な衝撃を受け次々と出版される本を片っ端から読みあさった

世の中では1960年に社会党の党首浅沼が講演中に刺殺されたが、その犯人の山口二矢(おとや)が17才でセブンティーンと言う言葉が一人歩きしたのもこの時代であった、雑誌「セブンティーン」が発刊されたのが1968年

政治性の無いものには何時も距離を置いていた私だから、尾崎の歌に出会っていたとしても素直にファンになったかは疑問ではあるが、先日ライブ映像を見て素直に感動したのである
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by PUSH-PULL | 2007-08-18 09:13 | ご託&うんちく | Comments(0)

公園ののららちゃん 良い顔してます


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