蝉と蜘蛛

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かたまり
今朝は少し山の朝のような気分だ、ステレオタイプ的言い方だがまさに雲一つ無い抜けるような青空、日差しはきついが風はひんやりとしていて木陰は涼しい、我が犬々も余りだだをこねることもなく散歩、大阪も毎朝こんなだったらどんなに熟睡できるだろう

最初この蝉の抜け殻を見た時子供が集めて放っていったのかと思ったがしっかりと殻同士がくっついている、ふと上を見上げると木の枝のあちこちに蝉の抜け殻があり、枝が細いためか本数が少ないためか知らないが、2個3個と団子になった抜け殻が一杯あった

地面に落ちた抜け殻を見ていると何故か芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した、筋書きがうろ覚えだったので改めて読み直してみた、地獄に堕ちた大泥棒のカンダタを蜘蛛を一度だけ助けたことがあると言うことでお釈迦さんが蜘蛛の糸で助けようとするただそれだけの話

蝉と蜘蛛_b0057679_8144189.jpgこの蝉のどれが大泥棒のカンダタかよく判らぬが、今回は上手く羽化し僅かな命を与えられカンダタも飛び立てたのだろうか、4匹目の落ちる原因になった罪人ゼミはどうしたのだろうか心配になってきた、落ちてから羽化したのかそれとも羽化した後に殻が落ちたのか

人間とは生き死にをぎりぎりのところで考えている場合とても他人様のことを助けるなどと言う考えは浮かぶわけはない、もしお釈迦様というものが何事もご存じだとしたら、カンダタに落ちると判っていながら蜘蛛の糸を垂らすのは儚い希望を与えるだけに過ぎない、芥川もエライ設定を考えて話を書いたもので教訓としては余りにもむごい、薄情な釈迦を描いてどうするつもりだったのだろう

別にカンダタは下から登ってきた罪人をけ落としたわけでも無く、ただ自分だけ生きようとして後から上がってくる罪人に下りろと喚いただけなのだ、もちろん褒められせずとも至って普通の考えなわけで世の中あがいても仕方がない釈迦の助けなんぞあるわけもない、空虚感だけが残るだけなのだ

一度だけ少し出てくる時間を間違えた蝉の羽化を夜明け直前に久利須で見たことがある、丁度カメラを提げていたのであわてて三脚を立て写真を何枚か納めはしたが現実に見る蝉の姿は感動ものである、固い殻をゆっくりと長い時間をかけながら破って出てくる様はただただ凄い

そしてスローモーションの映像を見るかのように殻から体をのけぞらせ全体が現れる、やがてよく見慣れた昼間の蝉からは想像も付かない透明で薄い緑の羽をフルフルと広げる姿は堪らなく美しい、明るくなる頃にはうっすらと湿っていた羽も渇き細かく羽を動かしていたかと思うとすっと飛び立った

そして木の幹には見慣れた抜け殻だけがぽつんと残され、先ほどのあの美しい羽化はまるで夢物語のように消えていた
by PUSH-PULL | 2007-07-31 08:18 | ご託&うんちく | Trackback | Comments(0)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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