京都大仏

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方広寺
先日京都七条通りを久しぶりに歩いていてこの看板に出くわした、年に数回京都に来るのだが来るたびに新しい発見がある、京都の大学(何故か6年間)を出た後10数年間東山の九条山に住んでいたので会わせると20年近く京都がすぐ間近だったのだが知らないことだらけである

交番の東側が博物館でその向こうに放課後に男一人で歩くには勇気のいる女坂がある、そして筋向かいに観光名所の三十三間堂(本当は蓮華王院本堂)がある

奈良や鎌倉のイメージ強すぎて京都の大仏と言われて私の乏しい日本史の欠片には何処にも見あたらなかった、京都国立博物館の北にある豊国寺東側に大仏殿(現方広寺)があり豊臣秀吉が建てたが、彼のことだから救済という考えでの仏作りとは意味合いが薄く金にあかせて作ったのではと勝手な想像をしてしまう

b0057679_8313167.jpg東大寺とは時代も違うが高さ19メーターの木製金箔貼りの大仏を1595年に完成させたが、次の年の開眼供養前に大地震で倒壊、後を継いだ秀頼が再建しようとしたが1602年鋳造中に出火炎上、再度1608年に再建したが1662年に地震で小破、1667年に作り直しするも1798年に落雷で焼失、尾張の有志が半身大仏を作り安置するも1973年に出火で焼失
東大寺の大仏(752年)が約15メーターだからいかに大きいか判る、ちなみの2.7メータまでが仏像の基本でそれ以上を大仏と言うらしい

「京の大仏つぁんは,天火で焼けてな,三十三間堂が焼け残つた,アラ どんどんどん,コラ どんどんどん,うしろの正面どなた」なる童歌が残されているが、ちとこの歌詞は恐ろしい

調べたものを書いているだけでも何と数奇と言うか祟られた場所の大仏かと考えてしまった、しかし秀頼の大仏再建の時に作られた釣り鐘の文字「国家安康」が家康に言いがかりをつけられ大阪夏の陣の開戦のきっかけになっている、何時の時代の戦争も最近では米軍のイラク侵略がその代表だが、常にあらぬ事に難癖をつけ大儀と称し戦争を仕掛けている、勿論我が日本も同じで廬溝橋(ろこうきょう)で難癖を付け日中全面戦争に突入している

長い間東大寺の大仏を見ていないが何度見てもあの大きさには驚かされる、大昔によくぞまあと思う反面、莫大な費用と労働力を考えてしまう、お江戸ではまたぞろバカなオリンピック誘致で不要な工事を考えているが、752年との相違は経済優先の箱物作りのためのイベントであること、しかし庶民から巻き上げられたお金が使われる点は同じである

b0057679_8321285.jpg困ったことに某都知事の大きな勘違いは彼が金を出すのでもなく都税が使われるのでもなく国税が使われることである、これは東京だけの問題ではなく国全体の問題なのだ、ただ一つだけ安心できることはほぼ東京開催はあり得ない、北京・ロンドンと続きまたアジアと言うことは考えられないからである、となると来ないイベントのためにとんでもない誘致資金が使われる方も問題で、あれどほど「支那人」などと蔑視していた中国を誘致のためにはなりふり構わず元小説家は表敬訪問すると言うからなかなり狂っている

昨日ブログを見たら戻ってくるようにと楽学にメッセージを書いたら、何処で読んだか知らないが昼過ぎに3日ぶりに煤けた傷だらけの体で戻ってきた、飯・寝る・飯・寝る・飯・爆睡、爆睡中にウェットティッシュで体を拭いたら少しは綺麗になったがまるで野良猫状態、しかし爆睡終了後またぞろ「ニャゴニャゴ」と近所迷惑顧みず夕方にお出かけとあいなった、お願いだからお早いお帰りを
by PUSH-PULL | 2007-03-08 08:47 | ご託&うんちく | Comments(0)

公園ののららちゃん 良い顔してます


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