先日言幸さんの個展を取り上げたとき彼女の写真の作品を版画と捉え、なんだかんだと版画のことを書きましたが「乙画廊」さんからご指摘通り少し意味合いが違う、確かに彼女のスクラッチボードの方の作品は真っ黒な板を特殊なペンで削る作品で版木?そのものが作品になっている
版画って何をさすのだろう、広辞苑では
版画=木版・銅版・石版などで刷った絵の総称
版=文字を書く板、印刷の版木など
やはり版画とは細工をした版を作り、インクや透写によって複数枚の絵画を製作する技法または製作された絵画のことを言うらしい、と言うことはスクラッチボードは版画ではなく「版」そのものになる
勿論グーテンベルグのルネサンス三大発明の1440年頃の印刷も版画と同じなのだが、文字なので版画ではなく版字になるのかしら?
スクラッチボードは見た目はよほど注意深く見ないと版画と区別は付かない、モノトーンの風合いは版画そのもの、ボードに彫られているのですぐさま印刷することは可能でポジネガ逆転の絵が出来上がる
ワホールのシルクにしても、好きな加納光於や野田哲也さん達の作品を見るとまるで写真の残像のようでとても版画だとは認識しがたい、また渋澤龍彦氏の著書に多くの挿絵を描いている「野中ユリ」さんのタッチはまさに版画そのもので表現面から判断することは非常に難しい
今日の写真はベニヤ板に偶然残された畳の残像に写真を合成したモノであるが、こうなってくると手法などどうでも良いような気がしてくる
しかし昔友達に親の収集とかでゴヤの晩年のエッチングを見せて貰ったことがあるが、私には無縁のお話だがこのレベルになると何枚刷られたとか紙の質とか画商にとっても所蔵主にとっても大事なファクターになるのは仕方がないのかも知れない
複数枚作られると言うことは本質的にオリジナルが複数出来るわけだから頒価も必然的に安くなる、庶民にとっては高級?なアートの世界を身近に見られるのは生活が確かに潤う
先日テレビの見た俵屋宗達の風神雷神の複写プリントのように1万を超える画素数のスキャナーで取り込み同じ素材に印刷、金箔も同じように貼られエージングとかぎ取りが施され真贋の区別の付かない現代版の屏風が作られていた
やはりこうなってくると版画の意味がますます不明になってくるのだ(笑)
私が首を突っ込んだコンセプチャルアートの世界のおかげで余りオリジナルを気にしないようになり、我が教祖(笑)でもあるデュシャンやヨゼフ・ボイスの作品を直に触れるとジャンルなどどうでも良いような気がしました