今月の18日のブログの続きです
先日のシンポジウムに行くきっかけになった建築家毛綱毅曠、少し前から名前や作品は雑誌で知り興味を持っていたが、実際に彼の作品を初めて見たのは石川県能登島にあるガラス美術館である
建築は実際に中に入らないと面白さは伝わってこない、何と言っても建築は彫刻と同じで全方向に顔を持ち内部に向かっても主張する
初めて毛綱氏の作品であるガラス美術館を体感したとき意外性と面白さに非常に感動した、迷路的な導線とむき出しのロボットのような骨材やガラス張りの飛び出た球体の空間、何をとっても新鮮で楽しかった
それからは彼の作品を意識するようになった矢先の2001年に59歳の若さで永眠してしまった、しばらく経ってから彼の出身地でもある釧路市で回顧展が開かれ話を聞いた、彼の作品のほとんどが釧路市にあることもあり展覧会を是非見に行くつもりで調べたらなんだかんだで10万仕事・・・泣く泣く断念、事務局に電話をして展覧会のカタログを訊ねたら以前の作品集はあるが今回のパンフレット(目録)は無し
と言うことで肝心の「反住器」の宇宙庵を見学できずじまい、この家は親のために設計された物で1972年に作られている、実物を見ずに書くのは恐縮ですが丁度きら星がごとく次々と若手の建築家が登場した時代で、万博を景気に黒川紀章などビックリするようなコンセプトと形が登場していた
この反住器も俗に言う「入れ子状態」で丁度ロシヤの人形のような考え方である、箱の中に箱、またその中に箱、多分その時代に見ていたら感動と尊敬の念でふるえていたに違いない
それまでの建築はすべてリアリズム建築らしい、つまりこの場合のリアリズムとは効率優先、つまり木材だと尺貫法で設計し、洋材だとメートル法で設計すると無駄がなく使い勝手の良い住空間が出来上がる
尺貫法は勿論人間に合わせて作られてきたモノなのだが、面白いのは時代によって長さが違う、驚くのは豊臣秀吉の頃は1間が約2mで今よりも広いのだ、身長にあわせて大きくなると思ったら時代に逆行していて短くなった、それとも日本人の背が低くなった(笑)
今でも畳の広さは地方によってマチマチでマンションタイプの一番狭い寸法から、江戸間・京間・関西畳みと大きくなる、マンションサイズと関西畳みを比べたらビックリするほど広さが違うのでこれが同じ四畳半かと驚くこと間違いない
話がいつの間にかそれてしまってすんまへん、早い話がそれっぱなしかも知れません(笑)
ところが安藤さんの建築物を色々と見ている間に、また他にも新しい造形物を見るに付けふつふつと疑問が芽生え段々と大きくなってきた、注文側・大枚を払って設計を依頼し居住する側にとってこれは果たして住み心地が良い空間なのだろうか?
はっきり認識したのは友人が兵庫県の王子動物園の側のギャラリーで企画展を開いたとき二次会で紹介して貰った飲み屋に流れた、外観を見た瞬間「あ!これは安藤さん」と判るほど面白い建物で中に入ってさらに驚いた、一度数段階段を降りた土間がジャリ、その向こうにカウンターがあるのだが広さに比べ座れる人数は圧倒的に少ない、室内は吹き抜けになっていて回廊式に2〜3階へあがるようになっていて上に住所スペースがある、空間としては無茶面白いのだがハテお店として住宅としてどうなんだろうと思ってしまった、お酒を飲んで帰るころにはなんだかこのお店の主人が可哀想になってしまったぐらいだ
写真の反住器だがご母堂が使用するに当たって什器が高く台を使って生活していたと聞く、空間としては素晴らしく楽しく興味がわくのだがそこで生活するとなるとやっぱり二の足を踏んでしまう、何でもかんでも利便性を優先するとろくなものは出来ないのは重々承知しているが
コンセプト・芸術性を建築の柱に据え取り込むという行為は、まず生産コストは何倍もふくれあがるのも問題だが、居住空間との迎合が難しくなる
テレビで見た須磨の海岸の総ガラス張りのワンフロアーワンルームのお洒落な安藤さん設計の二階建て住居も、オーナーをご存じの人から聞いた話だがそこに普段生活していないそうであくまで安藤さんに設計を依頼したと言うことが重要だったとか、他にも使い勝手が悪く立て直した人や色々話が尽きないのだがまた改めて書きます