そういえば昨年の同じ季節にブログにクチナシのことを書いた記憶がある、今公園や街路の植裁のあちこちで咲き乱れている、しかし去年は我が家のくちなしの写真だったのだが今年は不思議なことに一輪も蕾がない、剪定の失敗か愛情不足か(笑)
「あまき香に にがきおもいで かみしめる」 (上野小路 弘麻呂)
雨上がりの朝の花は綺麗だ、花専門のアマチュアカメラマンは霧吹きと反射板(レフ板)と花の触れ止めの針金とベローズ又はマクロレンズ(どちらも接写撮影のため)を持っていたりして、私のように無造作に撮影する人間にとっては笑ってしまうと言うか(失礼)面はゆい
くちなしは「梔子」と書く、茜科の花で香りは春の沈丁花、秋の金木犀に並ぶぐらいである
「薄月夜 花くちなしの 匂いけり」正岡子規
何故か日本のサッカーの有る夜は外で飲み会があり、オーストラリア戦の時の近場の割烹は客は我々だけだったし昨日はミナミに出たのだがどの店もガラガラで「前からそんなにみんなサッカーが好きだっけ?」と思わず考え込んでしまった
有るコラムで「サッカーとは参加するもので鑑賞するものではない、ましてやTV観戦は論外である」このコラムの骨子はサッカーは個人競技でなくシステムの組み立てに成り立ち、流動的なフォーメーションが面白いと言うことらしい、読んでいてなるほどと思った
確かにTVのサッカーはどちらかというとボールを追いかけ部分しか映らない、サポートのための選手の動きはまずわからないことは確かである、私はスポーツは並で何をやっても普通クラスであったが見るのは大好きでほとんどのスポーツは生で見ている
見て興奮した団体競技はラグビーとアメラグ、どちらも同じ水平レベルで観戦すると皆目ボールが何処に行くか読めず、ぶつかりの音の凄さに驚かされまさに男の競技と言うことを実感する
ところがスタンドに上がって少し上から見ると作戦が何となくわかってきて観戦にのめり込んでいくのである、野球も好きだがあくまでピッチャーがボールを投げないと競技が始まらないし、バッターが打たないと何も起こらない、緊張感は一瞬でほとんどダラダラとした時間経過なのでのんびりお酒でも飲みながら観戦することが可能になるのだが、ラグビーやサッカーなどは切れ目が無くトイレに行く暇もない
しかし昨夜の半覚醒状態で見た試合は疲れました