月酔会と小松辰夫

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御所
1年振りである御所を訪れるのは、今年も小松辰夫氏の追悼の飲み会がやってきた、亡くなられてから今年でちょうど20年も経つ、私の京都時代公私共々色々お世話になった方でたぶん最初の出会いは河原町三条下がるの「六曜社」だと思う、六曜社は京都の文化人=変わり者の溜まり場でこまっちゃん(小松氏)が最初に六曜社に行き始めた頃は百円でコーヒーを注文し新生を一箱買って電話で友人を呼び出しできたという、もちろん私が行きだした頃はさすがにもう少し高かったが後にも先にも喫茶店で新生を買えたのはここだけである

月酔会と小松辰夫_b0057679_1063025.jpg私自身がイオネスコやベケットの芝居をやっていたこともあり、こまっちゃんの主宰する「現代劇場」の芝居も彼と会う以前に四条通にあった山一ホールで見た記憶がある、こまっちゃんと知り合えたおかげで一度に大学以外の友人が一度に増えた、1969年の京大封鎖中の「バリ祭」にも参加するようになり、その後西部講堂を中心に木村氏達とロックコンサート「MOJOWEST」へと繋がっていった

こまっちゃんは20年前にやはり酒が原因で亡くなられたがその後を追うかのように六ヶ月後、京都BUND(社学同)の中心人部でもあった高瀬泰司氏が亡くなられたのが非常に印象的である

昨日は一日中好天気で1時から6時まで楽しい宴が続き私のカラダには今も微妙な残像が残っている、集まった友人達も昨年より遙かに多く造り酒屋の社長家族・ミュージシャン・京大教授・高校教諭・陶芸作家・壁画家・郵便局員・デザイナー・照明屋・瓦屋・漫画家・・・こまっちゃんが演劇に関係していたこともあり、半数は若い頃演劇に関係していた人達とあとはMOJOWEST関係である

御所は街のど真ん中にもかかわらず広大である、しかし人影はまばらで清水や金閣銀閣の混雑とは大違いである、おまけに夕方になると人影もなくなり寂しい限りであった、数年前に200数十億もつぎ込み建てられた迎賓館が出来てから急に警備が厳しくなった、元々御所は市民の憩いの場所だった筈なのに迎賓館には入ることも出来ず、塀に近づいただけで警報が鳴りすぐさま警備員が飛んでくる、こんなものが本当に必要なのか誰も何も言わない

月酔会と小松辰夫_b0057679_1064283.jpgましてここは外国からの要人が来たときだけ使われ、たとえば今や支持率が30パーセントを切ってしまったイラク侵略の張本人ブッシュとか年に数回しか使われない、たぶんここを維持するだけで年に数億円は使われているはずで、一日中御所専用の警備の車が巡回し宮内庁だけの消防も存在する

誰もいなくなった御所を歩いているときに見かけた植え込みに咲いていた小さな花が非常に印象的でした
by PUSH-PULL | 2006-05-22 10:12 | 未分類 | Trackback | Comments(0)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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