太陽を直視したのは久しぶりである、普段だと眩しくて下手に見ようものなら目を閉じても赤い点が網膜に張り付き動き回る
「黄」の読みを「コウ」と「オウ」の使い分けはどこにあるのかよく判らないのだけれど、よくぞ何千キロも離れたゴビやタクラマカンからはるばる日本までやってこれたものである、黄砂という限りいくら細かくても砂な訳で最終的には地上に落ち洗濯物を汚したりする、視界が10km以下になると呼ぶらしい
「コウ」読みでは水戸黄門・黄砂・黄泉(冥土のこと)・黄道などがあり、「オウ」では黄玉・黄金・黄色・黄疸・黄熱病・黄麻・黄隣などがるが、黄色とはいずれにしてもインパクトの強い単語ばかりである
今日の新聞の書籍批評の中で私の好きな赤瀬川源平氏の「四角形の歴史」という新刊の話が出ていた(買って読んでおきます)、自然の人間の違いについてなかなか面白いことが書かれている、つまり自然はグニャグニャで人間は四角、人間は四角を所有することによって絵画の場合では風景が必要になり余白を意識するようになった、凄い発想である!まいりました
大学時代クラスの仲間と作品は直線であるべきか曲線であるべきかと何日も論争したことがある、つまり自然界には直線は存在せずすべて曲線であり直線とは人間の思考であり業である、そのころの私は完全に曲線派で直線を拒否していた嫌いがある、どうも工業的形状の作品が受けいられなかたからである
こうして滅多に直視することのない太陽の写真をデスクトップで眺めながら(これでもカラー写真です)、非常に気を遣ってトリミングをする私がある、つまり切り取られた四角の中のバランスや余白に何らかの意識と美を求めているのかも知れない
無意識に絵画や映画やテレビや漫画やありとあらゆる生活の中で接する四角に何の抵抗もなく使っている私たちに彼は面白い提案をしているのではないだろうか?かって赤瀬川氏は美術作品として千円札を印刷し裁判までなった、彼の行動の視点は以外と身近なものから生まれていることに気づいたようなきがする