なかなか面白い映画でした、事前で読んでしまった映画批評で北野武の希有な才能とそのすべて映画作品をチャラにした・・・もう少し難解で退屈な映画かと思ったが以外だった
彼の演技やストーリー云々は評論家にお任せするとして、何故か若い頃見た日本の実験映画時代の大林宣彦「いつかみたドラキュラ」や、<ヌーヴェル・ヴァーグ>のジャン=リュック・ゴダール作品「気狂いピエロ」「中国女」「ウィークエンド」「東風」、あるいはミケランジェロ・アントニオーニの「砂丘」、フェデリコ・フェリーニ「フェリーニの81/2」などの色々なシーンが浮かび上がってきた
なにが喚起させたかというと監督自らだけが持つコラージュの映像感覚で、今度の作品もわざとフラッシュバックを多用したり、時間軸をずらせて見る側を困惑させる、これは一種の映像の抽象化でもある
北野武は先に挙げたゴダールやフェリーニのように純粋映画人ではないので、映像美に流されず主題が明確に感じられる、悪く言えば映画としての面白さの欠如でもあり映画の醍醐味の剥奪でもある
ただ細やかな仕掛けは沢山ありました、下町の古い文化住宅の柱がみんな赤色でパイプや庇がすべてブルー(北野ブルーとか言うらしい)に塗られていたり、何でもないレンジに写り込む血だらけのおとこ、「灼熱」の映画ポスター、ポルシェとロールス、衣装が山本ヨウジ、あちこちに北野武の思い入れが一杯
梅田の映画館は既に上映が終わっており道頓堀の「角座」(初入場}まで出かけた、松竹系はシネコングループに弱いのかチケットの裏を見ても全国で22館しか上映していない、あれだけマスコミに取り上げられベネチア国際映画祭に出品した割に客は入っていなくて20人ぐらいでした(座頭市以外とよく似ている)
自分で作り上げて来た手法をぶっ壊し新たにスタートしようと言う熱意はすごい、ベルトリッチやベンソンなど巨匠になればなるほど映画が退屈になるなる批評文があったが納得させられる
素朴な疑問として延々と続く銃撃戦と座頭市の時もそうだったが何度も出てくるタップダンスシーン、映画の流れから完全にはみ出していて、武の趣味以外のナニモノでもないような気がする
ビックリしたのは清純女優だと思っていた「京野ことみ」が全裸でベッドシーンを演じていたけれど矢っ張り可愛い
楽学ちゃん、本の整理は手伝ってくれる・・・ネズミを取ってくれなくても許すしかないですね。
つまらない。。~('O')~