ODOSHI

ODOSHI_b0057679_8305330.jpg「松本威展」
近鉄奈良駅の南、椿井町の路地裏におしゃれな和洋折衷のお店「月吠」がある、オーナーの中谷氏とは大阪のI村氏と映画の関係でずっと親しくしているのだがお店はギャラリーとしても奈良の中心的な存在でもある

毎年「月吠の現代美術展」が開催されているのだが、その切り盛りをしているのが現代美術作家の松本威さん、案内が来たのでI村氏と画廊で待ち合わせをした(昨日のブログに繋がるのだが)

「威」氏はゴロからも長い髪と大きなサングラスと髭の風体からも見た目少しやばいのだが至って優しい方である
何事にも好き嫌いがハッキリしている筈の私なのにどうもこの手の作品は苦手である、陶芸作品などを見たときと同じで善し悪しに自信がもてなくなるのである、勿論骨董品などの眼力はゼロに近く、真贋についても見る力は皆無である

作品は土や色々な素材を絵の具に混ぜ荒っぽくドローイングされていて、近くに寄ってみると面白いマチェール出ていてシンプルな構図の中にも躍動感が感じ取れる、色彩もモノトーンで落ち着いた空間がある

ハテそこからが問題なのである、和紙ににじむ墨・高温で窯変した美しい釉薬など素材の持つパワーが全面に出てくたとき作者の意図を素材が遙かに越えることがあるのだ、その場合素材そのものより作者の意図することが別にあるならこれは非常に問題なのである

人はこの素材、すなわち墨の滲みや釉薬やモノのマチェールや雲などバランスの取れたフォルムを前にしたとき、己の意識の中の像を「心象」として映し出すからである

素材と制作者の技術が優れているとそれだけで「存在」が可能なのである、もし作者のコンセプトを優先するなら素材感はない方が良い、勿論芸術が概念だけで成り立つ訳はなく何らかのモノによって作られるのでモノそのものの意志を消し去ることは出来ない

なかなか言いたいことが整理できず歯がゆくこの文章の脈歴のなさは何としたことだろう(まあいつものことだからご勘弁を)
by PUSH-PULL | 2005-10-06 08:50 | アート・デザイン | Trackback | Comments(0)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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