やっぱり面白い
今日は昨日の続き、ミラーレスカメラを持ってくれば良かったのだが、衝動的に来てしまったのでカメラはコンデジ、フイルム時代と違って感度が良いのでストロボ無しでも撮影できるのが有り難い
上の作品は入ったところにある壁の穴、わざわざこの作品のために壁に穴を開けております、さらに中の矢を固定するために床のシートもそのために新たに設置、矢はアーチェリーかと思ったが短そうなのでボーガンかも?
なんだかダイナミックなようでさわやかな作品です、面白かったのは写真には入っていないのですが、一番右端にあった矢が刺さらずそのまま床に横たわっていたこと、ちょっとしたアクセントなのかな
こちらは日本の靴メーカー「アディダス」のためにプレゼンした靴のデザイン、一つは靴の半分だけの線の落書き、もう一つはぬかるみを歩いてきたようなペイントで、どちらも靴のデザインとは真逆の発想で楽しい
映像で見たドキュメントでも語っていたが、二つの異なる物の出会いにおける新たなエネルギーの発生を楽しんでいるようです、このあたりはアンドレ・ブルトンの「シュールリアリズム宣言」出てくる、ロートレアモンからの引用で「手術台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会いのように美しい」に通じる物があります
こうした異次元の出会いの発想は、シュールリアリズムから現在のコンセプチュアル・アートに至る美術の背骨ではないかと思っております
下の黒板のチョークの作品は、本にが来て描いたかと思ったので、部屋にいた係員の女性に聞いたら、彼の指示の元に美術を勉強する学生が描いたそうです、床に落ちたチョークの欠片が印象的です
後で知ったのですが、彼は車椅子生活で大半の作品を直接自分で製作することはなく、プランに対応するブレーンが全部制作をしているそうです、そう言えば昔「人に作らせた物は芸術ではない」なんて言う馬鹿な論争がありましたね
課程も大事だが、やはり作品そのものが一番大事なのでは
前回の記事からずっと見させていただいていますが、面白そうですね。羨ましい。
車椅子生活なのですか。
レンブラントやダリなど有名な人も含めて、昔から工房というのがありますよね。そういう工房では、多くの弟子や職人がやっていることも相当にあるわけですよね。「人に作らせた物は芸術ではない」ってのは、どうもなんだか....................
アメリカでも展覧会をやったかやるはずです、物作りという点では写真芸術などはその最たる物で、色々ありますが基本シャッター押すだけ(笑)
著名なカメラマンと一緒に仕事をしたことがありますが、ホンマに彼がやったのはシャッターを押すだけでした、全部彼の指示の元アシスタントが怒鳴られ走り回ります