場所は中之島、堂島大橋南詰めの建設現場、建築現場にこんな石を早くに運んでくることはないと思われるので、基礎工事で現場から出てきたと思われる
この辺りは歴史的に結構古いので調べてみた、天保八年の古地図だと筑前藩の屋敷がありました、タモリの古地図で町を散歩する楽しみがこの辺りにあるのだろうね
天保八年(1837年)って日本史では必ず習う「大塩平八郎の乱」があった年、しかも事件は大坂
江戸幕府のあまりにも横暴な圧政に私財をなげうって蜂起、この場所の直ぐ川上の天満橋に大塩邸があり、難波橋を渡り、北船場にあった鴻池屋やその他の豪商を襲ったが、半日で鎮圧されてしまっている
大坂市の五分の一が消失し、大坂の人口36万人のうち7万人程が焼け出されたと言うから、まさに大事件である、この後一揆が全国に波及していくことになるのだが・・・
またこの建築現場に私の嫌いな空を遮る高層ビルが一,二年したらにょっこりと生えてくるんやろなあ〜