1950年と昔の映画なので見た記憶が曖昧、浅野潜さんの話で初めて知ったのだが、黒澤明はなんと中卒で画家を目指し二科まで最年少入選していたのだが、100倍の難関を突破してP.C.L.映画製作所(後に東宝と合併)に入所、山本嘉次郎の助監督として働き見る間に才覚を現し監督に
そういえば彼の絵コンテは非常に上手く、それだけで作品になるぐらいなのがよく解ります
調べたら黒沢が見いだした三船が30才で名演の京マチ子が26才でありました、ご存じ芥川龍之介の短編「藪の中」が原作で、京都朱雀通りの羅城門に住む鬼が題材、この映画が最初かと思ったら以前にも「羅生門」は何度か映画化されております
一つの事件を4人の別々の角度から語られるのだが話す内容がすべて違う、人間の欲得という性が表現されるお話でまさに現代の世相にぴったり、京マチ子演ずる貞節な妻の強烈な変貌ぶりは見応えがあります
映画は非常に重厚で、封切りの時には余り客入りがよくなったらしいのだが、ヴェネチア映画祭で受賞してから大ヒット、黒沢が「世界の黒沢」と呼ばれるようになったのもこの映画から
映画はセットの朽ちた羅生門と里山と一方向から撮られたお白州だけで、非常にリーズナブルな映画、逆にストーリーが引き立ってくるのが面白い
デジタルリメイク映画は、昔のフィルム時代と違って格段に映像が美しい、封切りで見たときよりも画質が良いのでは思うぐらいですが・・・、このあたりはレコードとCDの関係にもあるのかもしれません
ただ主役の三船演ずる盗賊の多襄丸、杣(そま)売りの志村喬の滑舌が悪く、最近難聴気味の私には聞き取りづらい、ちなみに杣売りとは国が所有する山林の木を売ることらしい、話のつなぎ役に下人が登場するのだが、後で上田吉二郎と判ってびっくり、記憶にある独特のしゃべり方の人とは思えないぐらい
カメラワークが非常によく、浅野さんお話では「羅生門」は俺が作ったと、後々有名なカメラマンの宮川一夫が言っていたそうです
この時代東宝はストライキ続きで映画がなかなか制作出来なった時代で、黒沢は京都の大映へ出向き製作した映画です、社長の永田雅一は映画のことが全然理解出来ない男でしたが、ヴェネチアで最高の金獅子賞を受賞すると、突然手のひらを返したように自慢したとか
映画のことは無知だったが、野球と政治が大好きでお金を使いまくり会社を駄目にしてしまったと言う、チョビ髭の裏社会で頭角を現し政界に通じていた貧相な永田ラッパの顔を何故か覚えております
※写真はネットより拝借
この京マチ子さんのメイク、今の女優さんは絶対やらないでしょうね~
機材が悪いと言うことはないのでは、役者の問題だと思います
一時ブログが閉鎖されていてびっくりいたしましたよ