思い出が一杯の建造物

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フェスティバルホール
「気の小さい選考委員が倒れて都政が混乱しますので、都知事閣下と都民各位のためにもらっといてやる」
これは芥川賞を受賞した田中氏の記者会見での発言である、勿論この前に賞にノミネートされながら何年も落ちたこと、本来なら断るべきの発言の後に続く言葉だったのだが、ビックリと共に拍手ものでよく言った

この発言が絡んではいないと思うが、コケにされた某都痴痔は今回で選考委員を辞退、私は年に2回文藝春秋をこの時だけ買う、某都痴痔の選評を読むのが楽しみだったのだがこれが最後になる

楽しみというのは若手の新しいタイプの作家が出てくると、まともな書評も出来ず毎回けなすだけ、彼の作家生命と言うか能力は議員になったときにすでに消滅しいて、賞の選考委員をするような男では無かったと言うことかも知れません

一枚目はネットより拝借、二枚目の写真は朝の散歩で土佐堀川の歩道橋「越中橋」から撮影した物である、大阪でフェスと言えば中之島にあるフェスティバルホールこと、ビルの名前は新朝日ビル、今年の秋に「中之島フェスティバルタワー」として生まれ変わる

良くできたホールで非常に見やすかった、どちらかというと横長に近く舞台が近い、ただでかいのホールなので3階の一番上から見ると舞台の人は米粒に近かった、キャバは確か2800?かな、‘58年に出来て間なしに何故か入っている、床が真っ赤なぶ厚い絨毯でズック靴がめり込んで驚いたことを思い出した

新朝日ビルが出来る前はこの場所に朝日アリーナというスケート場があり、微かだが滑った記憶もある

色々なイベントで何度も足を運んだホールである、ロックも初期の頃はこのホールを使ったが客が騒ぐので中止になり、ハードな物は府立体育館あたりかかろうじて後からで来た厚生年金ホールがメインに

友達の関係でピンクフロイドのコンサートチケットを押さえたのだが彼女と一緒に来たのが三宅一生でびっくりなどという思いでもある

またこのビルの地下にABCホールがあり、テレビ中継が良く行われていた、私自身イベントで舞台に立ったこともある、その後仕事で「ヤングオーオー」のお手伝いをしたので、毎週収録の度にこのホールに来ておりました

また上の階には取引先の広告代理店があった、20年近くほぼ一日おきぐらい「H」さんに打ち合わせにやってきていて、非常に懐かしいビルでありましたが、さて新しいビルは

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「八百八分の四百七橋」カメラ位置は私の顔あたりなので低くはないのだが、高低があるので小さいのだが圧迫感のある橋は「翠岩橋」、「すいがん」さんのお墓や記念館があるようなのですが、その翠岩そのものをよく知りません
by push-pull | 2012-01-19 09:00 | カルチャー | Trackback | Comments(0)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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