目線に陽の光が差す季節になりました
何気なくパレットが立てかけられている、遠目で見るとまるで自立しているように思えた、そこで本当に自立して見えるように写真で遊んでみた
私が現代美術の世界で燃えていた頃、世界的にプライマリーアートと呼ばれる一連の立体作品があった、意味的には「基本構造」、ネットで検索したら私のブログが出てきて笑ってしまった
シンプルな形体でも馬鹿でかくなると美術作品になる、海外に行くと町のモニュメントで見る機会も多く、出合ったときの衝撃はかなりなもので、1960年代に始まり現在もこの流れは続いている
よく似た美術に「ミニマムアート」と呼ばれる作品があるが、余分な要素を無くすと言う意味では同じでなかなか区別は付きにくい、美術館の壁に大きな板切れや柱が立てかけられただけの作品をあなたはどう思われますか
テレビで見た和牛オーナーの何万人もの被害者の話しには驚いたのだが金額も桁違い、私の金銭感覚とは別世界
競馬の予想と同じでそんなに儲かるなら自分でやれば良いわけで、人様に儲けさすことはない、株式は別にして個人勧誘の儲け話はすべて同じシステム
聞くところによるととんでもない結末を迎えた豊田商事事件、その残党が今も同じシステムで名前を変えネズミ講の商売をしているとか
一流大企業ですら、大王製紙やオリンパスのようにモラルの欠片さえ感じられないのだが、桁違いの使い込みと損失を出しながら破産の話しを聞かないのは、東電と同じでまだまだ儲けているっちゅうことやね
<大阪八百八橋の三百六十三橋>引きがなく橋全体が入らなかった、橋西側は道路を挟みすぐ鷹合小学校があった、橋の名前は「学橋」で読み方は「まなぶ」ではなく「まなび」であり勿論「がく」ではない
学校の隣だから付けたかどうかは定かではないのだが、橋の手前側も広い道が無く、何故この橋の幅が広いのか疑問、架けられたのは昭和44年で間違いなく橋の長さより幅の方が広い