Duchamp その1

Duchamp その1_b0057679_9154351.jpg
やっと国立国際美術館の「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展を見た、やっとというのは11月の始めから始まっていて、招待券もあり、私の一番大好きな作家でもあるからだ

一番著名な「泉」はポスターに使われ地下鉄の中吊りにもなっていたのでご存じの方も多いと思うが、これが美術と問いかけられて「そうです」と答えられる人はほとんど居ないと思う「何でこんな便器が作品になるの?」が一般的であろう

「レディメイド」これが彼のキーワードであった、大量の工業製品にサインをしたり文字を書くことによって物の世界から理念の世界として認知する「私はそれらについて考える。探したりしない。物が私を発見するのだよ」
Duchamp その1_b0057679_9165017.jpg
驚くべきは1917年にこの作品が作れれていること、今でも始めての人にとっては驚きをもたらすが、抽象の概念がまだ定着していなかった時代にこういったコンセプチュアルな作品を考えていたとは・・・
「審査無し、懸賞無し」の独立芸術家協会展に、彼は偽名「R・マット」で出品したのである、勿論協会の主旨とは無関係に猥褻・不快という名の下に葬られたのです

まだコンセプチャルアートなる言葉の深い意味すら理解せぬまま作品を作っていた私には、デュシャンは謎であった。何を作っていても非常に気になる存在で、たまに美術雑誌に載る彼は美術界とは距離を置きひたすらチェスを指していた、結果的にはその頃に《遺作》を制作していたことになるのだが

姿の見えない美術館が大阪の都心に誕生した、全て地下に展示室を設けた国際美術館である。シーザー・ペリの設計で大阪では他に馬場町のNHKがある、地下に美術館を作ったというのは大賛成だが、竹をイメージした地上のステンレスオブジェは私と友人と意見が分かれるところである

梅田にある村野東吾氏のジュラルミンの巨大な通気口もそうだが、スクエアーと違う不定型なフォルムを選ぶと、見る側に不安感を与え否定的な意見が多くなる、これは人の持つバランス感覚なのか?それとの生活の中ではぐくまれた後天的なモノか難しいところである         つづく
Tracked from デュシャンの子供たち at 2004-12-20 21:38
タイトル : デュシャンのレプリカをレプリカする人々
デュシャンの偉大さは作品ではなくその思想にあると思います。ですから作品そのものになんの魂もないのは当然で「抜け殻」でなくては彼の主張したいこと、狙いどおりにならないのですね。 芸術などといっても創作などたかだかモノの寄せ集めで、たとえば絵の具ですら画家は自分で作れず、所詮ヒトの作ったものを寄せ集めてでしかモノヅクリなど出来ない、揶揄がレディメイドだと私は思っています。今の時代から見れば「ありきたりの表現」に見える作品も「最初にやった人」だからこそ値打ちがあって、はじめて「無価値なものの寄せ集め」とい...... more
Commented by おるごる at 2004-12-18 12:10 x
ぼくも行ってきました。15日です。とても面白かった。大ガラスは割れたのを小さな写真でしか見たことがなかったのでちょっと意外な感じでした。『トランクの中の箱』を覗き込んでいると、紙を並べおわったデュシャンが向こうにいるような気がした。本物を見ると気分がいいです。お客さんがけっこう多いのに驚きましたが、それでもゆったりしていて見やすかった。ただ一番おしまいの部屋の展示は余計だと思いました。最近、南海地震がいつかあるぞ、津波がすごいぞ、とさかんに言われますが、中之島の地下で大丈夫かな、とも思いました。
Commented by PUSH-PULL at 2004-12-19 09:22
書込感謝これからもヨロシク、フィラデルフィの大ガラスは作品のためだけに窓が設けられ椅子があり、ゆっくり逆光で鑑賞出来ます。今回の東大バージョンはそれはそれで良いのですが、作品そのものが平面的で彼の熱意だ薄れます、オープン企画としては最適だったのではないでしょうか
Commented by エミリオ at 2004-12-20 21:43 x
はじめまして。記事の口調が気に入り、TBさせていただきました。わたしにとってデュシャンは「わぁっこんな昔に全部やられちゃってたんだっ!残りはカスだったんだっ!」です(笑)自分のアイディアなど彼のカスに過ぎなかった時代に生まれたことをのろいましたが、ま、次にイケってことでしょうね。

美術館が地下にあるほうがいい、と私も思います。センスはともかく、無駄に広いけど美術館の場合は無駄もオッケーです。これが駅なら許せません。だから京都駅は嫌いです。
Commented by PUSH-PULL at 2004-12-21 08:14
書込ありがとうございます、TBなるモノまだ一度も私はつなげていないのですが、確かにおっしゃるとおり先にやったモン勝ちってところがありますが、1917年と言えば余りにも早すぎる、面白かったのは観客の大半がポスターにも使われた「泉」をじっくり鑑賞するでもなくちらっと横目で見るだけの素通りで、嗚呼やっぱりと思った次第
by PUSH-PULL | 2004-12-16 09:34 | アート・デザイン | Trackback(1) | Comments(4)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


by PUSH-PULL