インテリ落語家の桂枝雀が大好きだった、夜遅くに彼の冠テレビ番組「枝雀寄席」があったぐらいだから今から考えると凄いことである、落語の番組すらほとんど無いのに毎週独演会だったのだ
落語における笑いを冷静に分析した落語家も彼ぐらいではないだろうか、晩年は若い頃の切れが無くなり面白味に欠けるようになってしまったが、鬱病から自殺に至る死は壮絶で落語家として洒落にもならない
彼が笑いの原点としてよく言っていたのが「緊張と緩和」だったが、この考え方は他のジャンルにも当てはまるのでは
抽象絵画の先駆者であるカンディンスキーの「点・線・面」から「コンポジション」至る考え方もよく似ているのでは無かろうか
気に入った写真や絵画を、こうした構図という概念から進入するのも一つの方法で次の作品を作る勉強になります、もちろん人間シャッターを押す瞬間無意識にこのバランス感覚が働き構図を決めている、これが一つの作品の出来不出来にも通じるのである
しかし写真も絵画も作り手側には作品の説明など不必要で、人様がなんと言おうと作り続けることが大事なのである
<八百八分の九十七橋>さらに住吉川を下がるとちょっと場違いなメルヘンチックな橋があった、親柱の名を読んだとき一瞬長野の地酒かと間違いかけた「真住橋」、小さい橋だが鉄橋のアーチライン、特に裾に広がる逆アールが非常に美しい橋である