ネットで「幕末 映画」を検索をすると、落語が元ネタのフランキー堺や裕次郎がでていた「幕末太陽伝」や、つかこうへいのドタバタコメディ「幕末純情伝」がずらりと並び、錦之助の「幕末」がなかなか出てこない、ネームバリューから言ったこれが一番のはずなのに
映画を見てその理由が分かりました、司馬遼太郎の「竜馬が行く」をベースに司馬まで脚本に参加しているのだがストーリーが長すぎるというか盛りだくさんすぎて映画の醍醐味が半滅してしまっているのだ、これではいくら一線級の役者を並べても難しい
役者の名前を書くだけでも凄い、坂本龍馬が自分のプロダクションを作り上げその第一作となった中村錦之助、相方の中岡慎太郎に仲代達也、お竜が吉永小百合で他にも三船敏郎・小林桂樹・中村賀津男・神山繁・中谷昇・松山栄太郎・江利チエミ・二木てるみ・大辻司郎・山形勤・古谷一行・野坂昭如・・・
色々な事件が起きるのだがすべて置き去りにして話が進んでいくのでまるで歴史物のドキュメンタリー、坂本と中岡のやりとりが見物なのだが二人の役作りが違っていて違和感を感じてしまう、ガキの頃食い入るように見たトップスター錦之助の「笛吹童子」や「紅孔雀」のお芝居はシリアスな芝居には不向きなのか
監督の伊藤大輔は大映で配給が東宝、錦之助が東映で小百合が日活で三船と仲代が東宝、かっての五社協定もこの映画が作られた`70年頃には緩やかになっていたのだろう、吉永小百合が可愛すぎる
映画はリアルな映像で進んでいくのだが最後の最後のシーンでカメラが引いていくと先ほどまでのリアルな部屋が急に舞台のセットのような横並びのシーンへ移動、これは何かあるなと思ったら案の定、刺客に殺されたはずの龍馬と慎太郎が起きあがって来るではないか、血を流しながら延々と「龍馬が死ぬ!」「中岡!」と叫びながらなかなか死なず動き回り引っ張っていくのであります
坂本龍馬が大政奉還後の政府のあり方を中岡と何度も議論をするのだが、龍馬が天皇を神の座から一市民として降ろし国のトップに据えると言う、平等という基本の言葉を吐いていたのには驚かされました、しかし70年代と現在を比較したら平等どころかより右傾化しているようにおもえる
現在同じセリフを龍馬にしゃべらせたらすぐにどこぞのだれかが噛みついてきそうです、一昨日のニュースでも以前富山県立近代美術館で問題になった大浦信行氏のコラージュ作品「遠近を抱えて」シリーズが、こともあろうに沖縄での「アトミックサンシャインの中へin沖縄-日本国平和憲法第九条下における戦後美術」での出品予定が教育委員会と美術館の教育的見地から除外されていた、
日本国憲法9条をテーマに掲げるなら天皇のありようはさけられなテーマでもあるのだが・・・作品そのものはなかなかシュールでコラージュ作品として素晴らしくで私が見る限り何の問題もないと思う
上の写真は上流がゆくへ不明の川が六軒屋川と正蓮寺川とに分かれるところ、この先は閉渠となって高見浄水所へと繋がっているらしいのだがもちろん見たこともない、しかもこの上を問題だらけの淀川左岸線計画線が工事中で正蓮寺川は寂しいことにもう川の面影はない
さて下の写真が正蓮寺川に最初に掛かっている「千鳥橋」、橋の上から正蓮寺川を写したものなのだが誰が見ても川に見えません、この橋を南側へ渡ったすぐのところに阪神なんば線「千鳥橋駅」があります、でも親柱がそれなりにデザインされているのが嬉しい