<   2007年 02月 ( 28 )   > この月の画像一覧

加彩婦女立俑

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大失敗
京都に行った時のデジカメ写真のファイルを無意識にゴミ箱へ入れてしまい、ゴミ箱のフタが開いていると定期的にゴミ箱を空にすると言うショートカットキーを押す習慣が付いているので表示された容量がやけに多いなあと頭をよぎったがOKボタンをクリックしてしまった

しばらくしてディストップ上に京都の画像ファイルが無いことに気づいたが時すでに遅し!パソコンを使い始めて10年以上経つが今回を入れてもこの手のミスは数回だろう・・・ガックリ、面白い京都の町並みや三十三間堂の真っ赤な門など何十枚とあったのになあ、同時にライカM3でも撮影していたので早く現像に出そうと思う

ましなフィルムカメラの撮影はきめ細やかで写真そのものはデジタルよりいささか美しいのだが、印刷やネットで配信する時は一度デジカメで撮影(このずぼら作戦はお勧めしません)するかスキャナーでデジタル化するのだがこれが面倒なのである、世の中の画像に関してはまさにデジタルの固まりな訳で最近はアナログの出る出番がほとんど無くなってきている
                         
と言うことで京都博物館で1枚だけ買った絵はがきをアップしてみた、有名な加彩婦女立俑(かさいふじょりつよう)の陶俑、つまり昔はエライさんが死ぬと召使いも動物も一緒に埋葬していたのだがそりゃ余りにもご無体というか死に対する畏怖が薄れたか権力が人が減るのが損失と見たのか知らないが、焼き物がその代用として埋められるようになった

ガラスケースの像を見た時もっと新しい時代のものかと思ったら解説を見てびっくりなんと「唐」時代なのである、日本で言えば奈良時代に当たるが調べて判ったことだがちょうど唐は8世紀の前半と後半で女性の美しさの基準が変わったらしい、前半までは細身の女性がもてはやされ後になるとこの写真の様にふくよかな女性がもてはやされたとされている、100年ぐらいで女性美を見る目が変わるとは思われないのだがデーター的に見てそうなのであろうか?

この像がモダンに見える原因は作り方にある、システムアップのために基本的な部分だけ型で作り後から筋彫りをして彩色している、しかも体のシルエットに動きがあり信じられないほど生き生きしている、
彫刻を学ぶとき最初に教わるのが体の美しいラインの「S」の形についてであるが、8世紀の時代にもかかわらずその約束事が見事に守られていているが勿論原型を作った人にはそんなマニュアルはない(笑)、「S」とは右肩が上がると右の腰は下がる、右肩が前に出ると右の腰は退く、頭・肩・腰・膝・足へと流れるようなラインが表れる、つまりモエでも優でもエビちゃんでも同じラインのポージングしているのだ

陶俑の裏側を見ると衣装は細い線を彫るだけで表現され腕に抱かれた狆らしき犬の姿も可愛くこれも後から彫られている、頬の薄紅などの彩色があり可愛らしさを醸し出しているが何度見てもまったく時代を感じさせないのだ
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by PUSH-PULL | 2007-02-28 08:41 | アート・デザイン | Comments(0)

ろおじ

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ホッとするのは・・・?
先日京都の七条界隈を歩いたのだが以外と極端に細い路地が多いことに驚いた、路地の入り口は家の一部分で家の下をくぐるスタイルは大阪ではあまり見ない、もしあったとしても中庭や裏に回る道であったりする

こうした路地の場合普通は入り口に何枚も表札が掛かっていたりするのだがここには無い、この路地の入り口の路面はきっとこの家の敷地な訳で路地奥の家は他人様の敷地を行き来しているのであろうか

関西では路地を「ろじ」と言わず「ろおじ」と言うことが多いのだが私自身いつの間にか「ろじ」と発声していることに愕然とした、中学に入っても錆のことを「しゃび」と発音してみんなに笑われたことがあるのだがこれは私一人だったのでどうしようもなかった

私の住む町も路地が非常に多いのだがここまでは細く無く最低でも1間以上はあるが、ここは半間強で人とすれ違うのに少々気を遣う、同じ路地でも部落地区になるとお互いが横にならないとすれ違えないほど狭い路地もあったのだが最近そういった風景をとんと見なくなってしまった

面白い路地の写真を何年も見つけるごとに撮っているのだが自分でも何が面白いのかよく判っていない、ここに住みたいかと問われればいささか考えてしまうのも事実である、ただ梅田の再開発と称するガラス張りのリッチ&チープな構造物の時に感じる不安感はなく、ホッとするような安心感が生まれるのは事実である

もう一つは未知への興味というかこの路地の奥には何か自分の知らない世界があるのではないかというワクワク感がある、幼少の頃は繁華街を歩いただけでもワクワクしたし、少し物心が付くと夜の知らない大人の街を歩くだけでドキドキしたのだが、いつの間にかこの感覚は鈍り街の雑踏に吸収されてしまっている

この路地というのは手で捕まえられる空間に近い安心感があるのかも知れない、大阪の古い木造の家に育ったのだが、20歳を越えてから住んだ京都の九条山の家は建坪が100坪で仕事場の天井の高さは8メーター近くあった、コンクリート打ちっ放しのヨシダミノル氏が建てたアトリエで山の中腹と言う場所と広さと何もかも強烈なカルチャーショックを受けた、お陰でその家に慣れるのに数ヶ月かかったような気がする、そして10数年の後またぞろ大阪の実家に戻った訳だが畳の我が家がなんと手狭で落ち着かなかったことか(笑)

しかし直ぐに和が快適空間として私自身に融合したのである、いかに環境というモノが人の感覚を変え下手すると思考すらも変えかねないことを実感した、ひょっとしてこの路地の写真をみて楽しんでいるのは私だけかも知れないのだ(笑)
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by PUSH-PULL | 2007-02-27 08:30 | 写真 | Comments(0)
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展覧会批評
身近な人、ましてや大学の先輩の展覧会は京都にまで出かけ会場を出るやいなやみんなとぼろくそにのの知り合いながら飲む酒は格別なのだが(帰りの電車だけが心配)展覧会批評をするのは非常に難しい、その点づっと年下やあまり近しくない人の作品には会話も文字も弾む

私の文字は生業でもなく日常のギャップあるいはズレを徒然なるがままに書き殴っている訳だからかなりと言うか相当ええ加減である(笑)勿論大上段に振りかぶり新聞やテレビネタをぼろくそにこき下ろしはすれどもアートシーンに関してはかなり温い、美術そのものが論理または言葉で語られる種類のものではないからかもしれない

私は大学で彫塑科に在籍していたが彫塑と彫刻とは違う、彼はその1年先輩でもあり大学を出てからず〜〜っと先生稼業をしている、その間にこれまたずっと作品を作っている、私に知る限り京都河合冷デザイン、成安、成蹊と美術&デザインを教え続けている
10年以上も前から紙を使ったオブジェを創作し何故か青色系が多い、今回のタイトルが「海から空へシリーズ」と銘打つだけにシリーズらしい、写真は作品を思いっきりトリミングしているので全体像が判りにくいかも知れないが、絵的には人の作品に私の意志そのものが入り申し訳ない

紙(今回はトレーシングペーパー)の持つ軽やかさと透過光の柔らかさと形としてお面白さが旨く表現されている、違う視点から見れば何時もここで書いているコンセプチャルとかコンテンポラリーのなんやかんや美術とは違う方向でありそれは紙の持つ一つの力かも知れない、勿論作者の制作意図がどのあたりにあるのかはよく判らないのだが

星野氏は私と違って非常にマメで何時の間に連絡したのか知らないが総勢10名という大所帯で鍋を突くことになった、カメラマン、画廊のオーナー、幼なじみ、大学がらみ(私)、大学教授、建築家、デザイナーとまるでとりとめもなく会話は交差し続いていく、おまけにもうこの年になると謙虚さが消え失せ他人様の話を聞かない(笑)お酒が入るとその度合いが更に増し、ふっと一足離れるとまるで会話として成立していないのに気づく、だが斜に構えてもおもろないのですぐさま他人様の話に思いっきり突っ込みを入れる
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by PUSH-PULL | 2007-02-26 08:32 | アート・デザイン | Comments(0)
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本当の名前は「詩人」です
同じテーマで写真を撮った人がいてるので、私の「考える人のけつ」はパクリになるのかも知れないと彫像の後ろに廻りながら考えた、記憶に間違いがなければ先に撮影したのは赤瀬川源平氏だが上の写真と違う所は彼のは上野で撮影した立体写真でこちらは京都国立博物館でのデジカメ

彫刻を勉強をするとき必ず登場するのがロダンである、まず西洋のギリシャ・ローマ彫刻を学ぶ、「サマトラケのニケ」や「ミロのビーナス」などがあまりにも有名で、その後ルネサンス文化へと続きそこにはあの偉大なミケランジェロやダビンチが存在する、リアルな彫像彫刻の後にディフォメルされた人体が表れるのだが、それがロダンでありブリューゲルと繋がっていく
実物を見ると日本の仏像彫刻とは余りにも制作意図もできあがりにも差がありこれが同じ彫像と思ってしまうのはいかし方がない、しかしその完成度はとても人間業と思えないほど抜きんでていて、我々にはとうてい真似の出来る技であることを理解し叩きのめされる

もう何十年も粘土をさわっていない、勿論仕事で原型作りや模型作りで土や油の粘土を手にすることはあるが人体というものを制作していない、ロダンのこの荒々しい粘土の固まりはただただじっとあんぐりと口を開け見つめているだけである、ミケランジェロの作品などは柔らかい大理石からの彫刻だがこれは塑像である、粘土原型から型を取り青銅を流し込みブロンズ像として形を変える
しかしロダンの作品の中にも多数の大理石彫刻がある、先に書いたカミーユ・クローデルがモデルとされる真っ白な大理石の彫刻「オーロラ」は余りにも美しい、石の固まりの中に浮かび上がるカミーユの顔は私をとらえる

b0057679_108272.jpg元々は国立美術館のモニュメントとして1880年に依頼を受けダンテの新曲に出てくる「地獄の門」をテーマに取りかかったがなかなかまとまらず18年後この話は白紙に戻る、しかしロダンは自ら金を払ってこれを作り続けた、ちょうど悩んでいた時に一節にはロダンより優れているとまで評価されたあのカミーユ・クローデルと出会っている

そして1889年に地獄の門を覗く男としてこの作品が生まれた、なまえは「詩想を練るダンテ」と付けられていたが最終的には「詩人」、誰もが知っている「考える人」という名前はロダンとは関係なくこの像を鋳造したリュディエという人がつけたとか、結局地獄の門は未完に終わったが鋳造なので世界中色々の所に存在する、「地獄の門」は東京上野の国立西洋美術館にカレーの市民など共に設置されているがそばで見ると凄い迫力である

この彫像も酸性雨で緑青が吹き出し真っ白な筋が一杯付いていたが、綺麗に磨き上がられビックリするほど美しい、京都の空気も少しは綺麗になったのだろうか

博物館が無料だったので急ぎ足で見学したが、ちょうど「香道」の調度品?が沢山展示されていて面白かった、初めて見る道具の中でも1センチ足らず香札や臭いを宛てられた時のゲーム盤、香りを当てる時の読むための句と記号、どれを見ても私の知らない世界で「にほい」を宛てるのにこれだけ手間隙をかけ道具を作り楽しんでいた人達とはどんな人だったのだろうと考えは続く
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by PUSH-PULL | 2007-02-25 10:20 | アート・デザイン | Comments(2)

花の写真

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私ってプロ?
云十年も前の京都時代の写真が必要とかであわててかなりの枚数の写真を整理しながら探していたら花の写真が一杯でてきた、肝心の写真は殆ど見つからずガックリしたがその中の写真が雑誌の連載記事に使われると思うと少々心配になってきた、そして書店の平台にってか

カメラが好きでマニュアルのレンジファインダーカメラからオートフォーカスまで、最近はずっとデジカメ御用達の私ですが被写体の好きなものに花があります、特に山野草が好きで三脚の上にマクロレンズを付けたカメラでマニュアル撮影をする、被写体深度を浅くしてバックを柔らかく花を浮かび上がらせる

光は前からの木洩れ日と朝露があれば言うこと無し、もう一つはこのチューリップのように逆光で花ビラの暖かさを表現する、アップで取る場合は焦点深度を思いっきり深くして肉眼では見られない世界を切り取る

などと書くと花の取り方のマニュアル本になり何十年も変わっていないカメラ雑誌の巻頭グラビアやコンクールの花の写真が出来上がる、花はそれだけで美しいのだ

十数年前ステレオ写真にはまってから写真の取り方が変わった、つまり上記のような取り方をしても面白くないのである、添景も奥行きも考えることは不必要で一番大事なのは真正面から構え手前からずっと奥の方まできっちりと撮影することにある、この図鑑的・記念写真スタイルが一番ステレオ写真の面白さを引き出すのである

最初はぼかしを入れたりわざと斜めに構え奥行きを構図として考え写していたが大失敗、真正面で全部にピントが合った写真がいつまで経っても飽きないのであるのが不思議

ところが今度は普段の写真でもこのスタイルで撮ってみるとこれがなかなか面白いのである、ぼかしだの奥行きだのが逆に素人臭くつまらぬ写真に見えてきた、つまり今の写真のマニュアル本が旧態然とした知識の羅列の固まりなのかもしれない、確かに写真撮影入門としては必要かも知れないがそこからは面白い写真は1枚も生まれない

植物園や観光地に行くと必ずアマチュアの写真グループを見かける、特に最近は女性のカメラマンが多くビックリするほど高級なオートフォーカス一眼レフカメラを首から提げていて驚かされる、先生らしき人の話を横で聞いていると失礼な話だが笑ってしまうことがある、つまり手前の枝を手で折り曲げてまでして前景に枝のぼかしを入れたり、花の場合は枝が揺れないためのサポート用具だのレフ版だの極めつけは霧吹き持参なのである

逆に図鑑的写真の方がカメラの解像度の問題と絞り込みによるブレを殺すのが非常に難しい、カメラ雑誌向きなら直ぐにでも撮れそうな気がするのだがプロの撮る花の写真はやはり違う、自然光で花の性質を熟知し一番美しい時にシャッターが押され一枚の美術作品としてプリントされていて美しい!
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by PUSH-PULL | 2007-02-24 09:39 | 写真 | Comments(0)

商店街

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下町
昨日正しいお酒の飲み方なんぞ書いてしまったが、その私が昨夜間違った飲み方をしてしまい今朝はどうにもこうにもマーロウならぬ灰色を通り越し真っ暗闇の脳になってしまっている、おっさん4人で飲み始めたが約1名は殆ど飲まず約1名はビールばかり約2名で焼酎のボトルを頼んだのが間違いだったか、約1名は何時も8時から9時の間の就寝するとかで早めに飲み会は切り上げたのだがハシゴしたのがいけなかったんやろな〜
そんなに飲んでいないのにこの体たらくとはきっと肝乃臓がボロボロで破滅寸前に違いない

二日酔い反省ひとしきりは酒飲みの言う言葉

私の家の直ぐ近くには沢山商店街があり歴史も古く古い地図にも載っている、その後どんどんスーパー(ジャスコ・関西スーパー・コーヨー・オアシス・ライフなど)が出来て一時かなり下火になったが、ここ数年ほんの少しだが賑わいが復活してきたように思う

私の建築家の友人の説によると「商店街に飲食店が出来ると滅亡の始まりである」、確かに賑わいは戻ってきたのが新しいお店の大半は物販ではなく、お好み焼きを初めとする各種飲食に格安料金の美容院と百円ショップあたり

この写真の商店街もかなりのお店が入れ変わっているような気がする、特に駅に近い両端付近はファーストフードに携帯電話にパチンコ

しかし商店街を歩くとスーパーのような乙に澄ました所はなく何故かホッとするのは育ちの性だろうか?お洒落な場所に入るとなぜだか見張られているような気がするのだ、現実に監視カメラは付いているがそれにしてもあの圧迫感は何故だろう、数分の所にマーケットがあるので殆ど毎日出かけるのだがこの緊張感は希薄になったとは未だに存在する

今朝メールを開けてビックリした、ミラノに住む見知らぬ人からお便りでブログ見ていますとのこと、正直なかなか嬉しいものである、これからも切磋琢磨して馬鹿話をアップするように心がけたいと思っている
私のブログは<辛口で男前な文体なのに「お砂糖」なのですね。>だそうである
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by PUSH-PULL | 2007-02-23 11:08 | 写真 | Comments(0)

正しいお酒の飲み方

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供え物
昨日はゴミの日ではない、右の缶はサントリーの発泡酒マグナムドライ(現行はゴールデンドライ)500ミリリットル缶でアルコホル5.5%、左の袋は直ぐ近くにある消費税込みの100円均一ショップで日用品はもとより生野菜から鮮魚までそろえているお店の袋である

写真を見ていると捨てたと言うより置かれたに近い、しかし何故かあっけらかんとしていて悲壮感がない、勝手に思うに100均で肴をかって自販機で発泡酒を買い歩きながら片づけたは良いがゴミ箱がないので路にそっと置いた、と見立てたのだが如何でしょう
500ミリリットル缶では無理だが今や350ミリリットルなら発泡酒でも缶酎ハイでも100円以下であるので100均ショップで全部揃うのだ、ちなみに500ミリリットルだと170円あたり

お酒が炭酸飲料や缶コーヒーと同じ値段で買うことが出来るようになるとは誰が想像したであろうか、酒好きには夢のような世界なのだが一缶で済むわけはなく結局お酒の方が高く付く、それならば安い焼酎やスピッツ系をストレートで飲むのが一番安価で効果的だと思うのだがそうもいかない何かがあるのだろうか、そうすれば正真正銘のアルコホル中毒患者が完成しピンクの象さんを見られるというものだ

よく自販機の前でお酒を一気飲みする御仁を多々見かけるが私はやったことがない、見るからに美味しそうで飲んだ後のおっさんあるいはネクタイを締めたサラリーマンの表情がこの世の思えないほど嬉しそうなのである、悪く見れば完全にアルコホル中毒な訳なのだが、夏のカンカン照りの日に喉が渇いて炭酸飲料の一気飲みとは明らかに違うと思うのだが満足感は似ているのかも知れない(笑)

直ぐ近くのスーパーの出口の植え込みの石垣でお酒をゆっくりと飲むおじさんが毎日必ず存在する、しかし飲んでいる人はいつも違う人で共通点と言えば彼らが手に持っている缶が「発泡酒」か「缶酎ハイ」と言うところであろう、石垣のすぐ側には大きなステンレス製の灰皿とゴミ箱がある、この二つが飲む空間を誘っているのであろうことは間違いない

発泡酒も売れ出すと直ぐに酒税を引き上げられ税金を飲んでいるに近い、しかも酒代に含まれる酒税に更に消費税が賭けられる訳だから税金の2度取りでこれは違反行為でもある、最近は焼酎ブームの影でビールも発泡酒もかっての勢いがないが、その焼酎ですら売れ始めたとたん酒税が引き上げられた

売れるものから税金をひったくるというなら法人税の値下げなどをせず金儲けをする連中の税金を引き上げるべきで税制として明らかに矛盾している、ましてや食費や衣料など生活の必需品に課税することすら間違っている、嗜好品や貴金属など生活に直接関係ないものからひったくるのが正しいのだが、生憎お金を取る算段をする側の人間が貴金属大好き人間と来たもんだからたまったもんではない

ゴア元副大統領の話ではないが経済か環境かというレベルはもうとうに通過しており、経済よりも我々が住む環境を大事にしないと取り返しがつかないのだがすでに一歩踏み出してしまっているのだ

b0057679_8294798.jpg補記:書き忘れていて申し訳ない、ブログに書いたF-22ラプターが17日ひっそりと沖縄嘉手納基地へ飛来、ステルスだから気が付かなかったのか知らないがこんなおっかないものが日本の国土に来たというのにまるでマスコミの扱いが微少過ぎるのが恐ろしい、今頃何をやらかしているのやら、おまけに何の用事で来たのか知らないがチェイニー米副大統領、久間防衛庁長官抜きで制服組と会談ってどうなっているのだろう、立て続きで26日がクラウチ米大統領副補佐官、3月1日に米国務省ネグロポンテ新副長官、全員戦争がらみ組でなんだかやけにきな臭い
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by PUSH-PULL | 2007-02-22 08:39 | ご託&うんちく | Comments(2)

仮想通貨

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水仙
公園の植え込みの水仙は犬に踏みにじられたったの2本しか花を咲かせていなかった、ちなみの我が犬々は目が不自由で植え込みに上れない、これは一番ポピュラーな日本水仙だと思われるが水仙も色々な種類がありなかなか凛々しい花でもある、ギリシャ神話の美少年ナスキッソスの様に余りの美貌が妬まれ呪いのため己に見入り水辺で死に絶え水仙になるって、つくづく男前に生まれず良かったなあ思う今日この頃であります

しかし水仙って水辺の花にも関わらず今は何処にでも咲くのは改良されたためかしら?FFに出てくるキャラを含めゲームの主人公は無茶苦茶男前である、初期のスーファミの頃の3等身キャラからはおよそ想像も付かない変わり様で驚かされる

テレビネタで恐縮だが話には聞いていたが昨日「クローズアップ現代」を見て驚いた、さらにネットで「RMT」を検索してその驚きが倍加され今時のゲームの有り様は甚だ不愉快である、つまりRMTとはReal Money Tradeでありゲーム内の仮想通貨を現金で売買するシステムでそのサイトが多数存在する、これは大規模オンラインロールプレインゲームが始まってからで、ひょとしたらオンライゲームはそのために作られたのかと思ってしまうほどである、3等身時代のドラクエやFFや信長では不可能でせいぜい攻略本を買って読むか頭を下げてゲームの達人に教えを請うことしかなかった

b0057679_9392828.jpgそれがであるゲームをする時間が足りないからと言って現金で仮想の武器や防具や魔法を買うことはないだろう!昨日のテレビを見て凄いと思ったのは絵の臨場感もさることながら敵のボスキャラ1匹を倒すのにぶっ続けで4時間も掛かっていた、今時のゲームってそんなに難解とは、お陰でゲームの仮想アイテムを購入するのに1年で100万も使った人が登場するに至ってはこれはもうゲームではない、しかもこれにネットの対戦費用も加算されていく訳だから費用はどんどんかさむ、FFあたりのアイテムでは何百円あたりだが上を見ると凄いアイテムが存在し現金でアイテムを売買する訳だ

ガキの頃からあらゆるカードゲームには絶対入手困難のカードあるいはキャラクターが存在する、おぼっちゃま達はお菓子を買いまくり、お金のない我々はあの手この手でそれを巻き上げる、色々問題を起こしたカードゲームのポケモンなどは今では490種類も増幅してしまっている

子供のゲームに対する記憶に大人達は驚かされこの子は天才だと思ってしまうのだが、子供の興味が変わったとたん何百も覚えていた記憶が一瞬にして大半が消え失せてしまうのである、どのような回路に蓄積されていたのかよく判らないが寂しい限りで、この記憶が勉強だったらと思うのも淡い期待であろう

ならばゲームに費やされる時間を生き物を飼ったり勉強をしたり喧嘩をしたり友達と遊んだ方が遙かに別の意味の知育として役立つと思うのだが、それすらも出来ないまたは喪失するタイプが大人になってRMTで100万も仮想通貨に現金を使ってしまうのであろう

アキバだのメイドカフェだのコスプレだのバーチャルに対する批判があるが、まだそこには衣装を着たおねーちゃんがいて「お帰りなさいませご主人様」と出迎えコーヒーを運んでくれる訳であり、コスプレのそこにはマスカレードに参加する個人としてのリアリティが存在するのは紛れもない事実である

しかしモニターのだけにしか存在しないゲームのアイテムを購入する仮想通貨を現金で買うとは!テレビで見ていたらゲームアイテムの武器の斧を手に入れるのに現金5000円なり、振り込むと直ぐにゲームの画面にバイヤーが操るキャラクターが現れ斧を手渡してくれるのだから恐れ入る、中国の若者グループで1日中ゲームをやり続けアイテムをため込む集団が紹介されていた、バイヤーを通じてゲーマーに売り渡される訳だが、どんなものでも買う人がいれば売る人作る人が現れるのは当然でさほど驚くことももないが、今時のオンラインロールプレインゲームの凄さと危うさを垣間見た気がした
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by PUSH-PULL | 2007-02-21 09:50 | カルチャー | Comments(0)

なんだ、かんだ、ぱんだ

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王子動物園
今日は昨日のつづきです
元町の南京町をおなか一杯で離れ、2駅先にある灘の「王子動物園」へ出かけました、ここの動物園に入るの多分10年以上?振りだと思われる、前に来た時はパンダも存在しなかった
先週この北側にあるギャラリー夢創館へ来た時オーナーさんからパンダが来てから一度のお客さんが増えたそうで、どんどんと駐車場も拡大し確かに見違えるぐらい綺麗になってきていて今も園内のあちこちが工事中なのである
オチビどもは「おうこどうぶつえん」などと申しておりましたが、私の意見といたしましては点を一つ追加して「たまごどうぶつえん」あたりが楽しげに見えるのですが、どうも王子と言う言葉は関西人にはなかなか馴染みまへん

今話題の北海道旭山動物園も今度は人が一杯で落ち着いてみられないと言う真逆の問題が起きていてらしいのだが、流行れば流行ればでまた非難されるとは皮肉なモノである

子供のころは必ず学校の遠足で動物園を訪ねた、しかし何故か動物園と言うと臭い汚いと言うイメージしか残っていない、ストレスがたまったやせて毛の抜けた生き物の陳列でもあったのだだ、それに比べればいまはそれなりに綺麗になっている様な気がする

b0057679_8464586.jpg自分より大きい生き物には憧れと畏敬、変わった獣には異形に対する興味と恐怖、ゴリラやオランウータンなどは自分に近しい霊長類としての親しみを感じるものでありいくら見ていても飽きない、様々な想いが獣へ誘う

私の一番好きなのは水族館で次は動物園でその次が植物園、何回行ってもまたその時々の発見があり楽しいのだ
若いころ京都の動物園の鷲の檻の前で何時間も佇んでいたことがある、それはたまたま仕事の請負で東映の時代劇に使われる鷲のレプリカを作ることになったからで、どうしても鷲の飛ぶ姿が見たかったのだが鷲は飛ばない、最後の最後にやっとこさ下の水飲み場に降りてくれたのだがビックリしたのは体長の割には羽が大きかったことである、最終的にはシリコンで作り上げた鳥の体に色々な羽を植毛し生きているみたいな鷲を作り上げたのだ

パンダは寝そべってばかりで少しも面白くなかったのだが、しばらく周りでウロウロしていたらタイミング良く餌の時間と重なった、飼育係の説明によるとパンダは食べているか寝ているらしい(笑)そして腹が空くと非常に凶暴になるので、一日何回も餌を与え適度の運動をさせるようにしているとか、私の目の前であっという間に3センチほどの餌の青竹を噛み割り端から上手に皮を剥いた後ガリガリと囓りだしたのには驚いた、さすが動物園1番の人気者だけに非常に可愛い、しかし目だけはやけに不気味でもありました

そういえば毎日「うるわしきひと」と言う曲がよく聞こえてくる、思い出すのに何時間も掛かったのだがかってのリンドバーグというグループの曲と似ていなくもなく元気で明るい、そしてバンドの名前が「いきものがかり」でかなり変!私には「飼育係」の方が判りやすい、私の子供のころは学校で動物の世話をするってありませんでした、世話をするのは犬猫は別にして他はどちらかというとタンパク質確保でございます
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by PUSH-PULL | 2007-02-20 08:51 | 写真 | Comments(0)

「春節祭」

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食べ歩き
朝早くはパラパラと雨が降り心配していたのだがものの見事におてんとさん登場、と言うことで神戸南京町の「春節祭」へ突撃、中国のお正月を何で祝うかと問われれば、ただひたすら「買い食い!」を楽しみたいがため

人混みの中で聞こえる声は中国語が多く、よく考えれば私たちは他人様のお祭りに参加させて貰っているのである、勿論さすが神戸だけに中国語以外に英語・ベトナム語・他にも聞き慣れない言葉が頭の上を行き交う

初日とあって人・人・人、午前11時に爆竹がたかれ祭りが始まった、しかし我々総勢8名は満員の中華街の人混みかき分け旨いモノ探しに血眼になる
買ったもの、エビ団子・水餃子・豚まん・刀削麺・ゴマ団子・蟹フライ・春巻き・小籠包・包子・鶏唐揚げ・カットフルーツ(マンゴー・パイン・馬鹿でかイチゴ)
食べたかったもの、千円のチマキ・大根餅・北京ダック・フカヒレ餃子・豚角煮、他多数有り

b0057679_9263230.jpg旨いモノを食べるって何と幸せなことかとかみ締めながら次の店を探して歩く、通りは人であふれ屋台で買っても食べる場所がない、横の路地の至る所で大勢の人がスチロールの皿と箸を持ち立ち食いしている様が面白く、他の町では絶対に考えられない光景でもある

しかしそれでもお昼食のためのお店を探したがどの中華料理やも表に人が一杯並んでいる、ふと横道にそれるとお洒落な洋食屋を発見しランチタイムを満喫、注文したモノはカツサンド・カレー・メンチカツ・トンカツ大、他

色々な福袋があったので中国茶の福袋2007円也を購入、中には一度も飲んだことのない「西湖龍井」と大好きな「凍頂烏龍茶」と「茉莉花茶」と一緒に500円の割引券、神戸に当分来られそうにないのでまたぞろ中国茶屋に引き返し物色したが安いお茶がない(笑)仕方が無いので「烏龍茶80g」2400円を購入いたしました、お店の中では本格的に急須にお湯をぶっかけ何人か中国茶を戴いておりました、おもわず参加したくなったのは言うまでもありませんが私一人の行動は許されず泣く泣く表に

神戸南京町はまさにお祭り一色で歩いているだけでワクワクしてくる、何十軒の居並ぶ屋台から美味しい香りが漂う、どの中華料理屋も列をなしこれが大阪から直ぐのところかとカルチャーショックさえある、きっと横浜中華街はもっと広いので凄い人手であろうことは間違いない

パレードがその後あったが余りの人混みに押し出され元町の駅へ、次の目的の地王子動物園へ向かったのであります
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by PUSH-PULL | 2007-02-19 09:43 | うまいもん | Comments(0)

公園で久しぶりに会ったミニピンの太郎君、商店街に昔からあるお茶屋さんのわんこ、気が向くとこうして飛んでやってくる


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