写すこと←→視ること その9

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風景
最近読んだ本の受け売りだが、写真を考えると人生論と技術論だけである、写真とはすべてを対象化してしまう、もう一つが言葉であり人間は言葉がなければ物事を考えることが出来ないのである・・・
写した写真の中に本人が存在する
風景や花の記録的あるいは商品の商業的時間の定着ですらそこに撮影者の意識が反映されている、町角の何気ない風景でもシャッターを押す瞬間、指先には本人の思い入れあるいは過去が重なり合い凝縮されている・・・以後なんちゃらかんちゃら
<中平卓馬「なぜ、植物図鑑か」>

時には己の過去であり夢であり思考でもある、私は絵を見てストーリーが思い浮かぶ写真が好きだ、映画監督でも1枚の映像が浮かびその絵のために前後のストーリーを作り上げる人が存在する

写真とはノンフィクションでありながら撮影された瞬間それは、ライブでもなんでもなくなってしまう、そこにはカメラマンの意志があり360度の世界からトリミングという作為が存在する

TVから垂れ流されるニュースにしても、ディレクションされ局の作為がありニュースが真実のようで真実でなくなり時には捏造されたりもする

また記事すらも各社各局横並びで御上の発表そのまんま、まさに戦時中の「大本営発表」と同じではないだろうか、各省への資料要求も今や事前審査が必要と言う何とも時代錯誤的な世の中になって参りました

我が半珍キャッツ、141試合目にして・・・夕ご飯の味がわからなくなっております
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Commented by tedukuricamera at 2008-10-09 09:40
マラソンでたとえれば スタート直後からぐんぐん離され 
一時は13キロも差がついたが 競技場に戻ってきた頃に後ろ姿を捉え ゴール直前に鼻先だけ追い越した と言ったところですか。だがテープはまだまだ。

「勝ってふんどしの紐を締めよ」

白髭・・・巨人ファン。
Commented by PUSH-PULL at 2008-10-09 10:41 x
この件に関しては返す言葉がない、ただ一つ言えることは長い間のお付き合いで培われた免疫性により自暴自棄になったり自殺したり拒食症になったりは絶対いたしません
by PUSH-PULL | 2008-10-09 08:35 | 写真 | Comments(2)

公園でたんまに合うモモちゃん、遊び好きのコーギーです、ご主人は美味しいもつ鍋屋に焼き肉屋を経営している


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