昨日の午前、朝最初のコーヒータイムでTVのスイッチを入れると朝だというのに全裸の少女の絵が出ているではないか!何事かと見ていると、NHKが「知るを楽しむ」というドキュメントで澁澤龍彦を取り上げていたのだ
第1回が四谷シモンで私の見た金子國義が語る澁澤龍彦が第2回目であった、シモンの方が興味があったのだが時すでに遅しで昨年11月に放映されたもののようだ
澁澤が金子にエロとエロスの違いは「品格」だと言っている、丁度中学高校と性について悩んでいたころ「賢(かしこ)になりたい症候群」の私に降って湧いたようにこの「エロス」という文字が降りてきた、丁度その頃の文壇のスターに澁澤龍彦がいた、彼はサド裁判の被告人としても時の人でもあった
その頃に衝撃を受けた本にジョルジュ・バタイユ「エロスの涙」があるが、彼の「眼球譚」「マダムエドワルダ」やサドの「悪徳の栄」にボーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」などどの本も表紙の絵が金子國義だった、この眼球譚もO嬢も私にはエロスと言うよりエロ本に近かったのだが
難しくてうんうん唸りながら夢中に読んでいた大江や安部や埴谷や吉本とは別のエロスと芸術の世界が浮かび上がってきた、そして意識した先に東京文化の澁澤を始め四谷シモン・金子国義・「家畜人ヤプー」の沼正三・栗田勇・・・・
澁澤が挿絵画家として依頼したのが金子國義で、彼が画家として成功する最初の出会いでもあった、澁澤関係の著書を読みまくろうとするがなんせこの手の本は普通の小説と違って値段が驚くほど高く、なかなか手にすることが出来なかった事実もさることながらどれもかなり難解だった、タイトルは知っていても読んでいない本がいまだに多数有る
自分自身が美術の世界に身を置くようになってから、少し離れた所から彼らを見られるようになった、もう一つは金子國義の絵そのものが心底好きでなかったこともあるが「賢(かしこ)になりたい症候群」としては彼の絵が余り上手に見えなかったのだ、そのぎこちなさが彼の良さであることは重々承知してはいたのだが
昨日のテレビで語る彼の言葉に「母から、あなたは何もせずに家にいてて遊んでいるだけで良い」、彼はその頃は四谷シモンとお芝居をしたりまさに遊びまくっていたのであるが、澁澤を始めどうもお生まれが宜しい作家に関してその事実を知るにつけ両手を上げて喜べ無くなる、私自身の育ちといじけた思考であることは紛れもないことなのだが、いまだに成績優秀のおぼっちゃまを見ると無視するか後から回し蹴りをカマしたくなるのだ、一つだけの救いは澁澤が対女性(妻など)に対し性格が破綻していたことで、つまり金子も澁澤も日常生活的にはかなり問題があるようなのだがそれがアーティストとして良いことなのかどうかいまだに判断に苦しむ