「栄利明展」+α

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木彫
部屋に入ったとたん楠の香りが飛び込んできた、作品で香りがあるのは木彫がだけかも知れない

久しぶりの信濃橋画廊まいり、小さなビルだけれどB1に2カ所、5Fに2カ所と大小4ッのスペースがある、「栄利明展」は5階にある小さな部屋に木彫が一つ展示されているだけ

私が大昔に出会った時はすでに作家活動をされていて、馬鹿でかい樹脂製の球「かなシリーズ」で野外彫刻展で受賞していた、その後色々なフォルムの変遷がありその一つがこの木彫シリーズ

私と言えば大学の彫刻を専攻したのが運の尽き、作品を作るのにとんでもないお金がいるのである、粘土で原型を作って樹脂成形するだけでもバイトの収入ではとても追いつかない、ましてや素材が石や木になると・・・

つまり貧乏人には彫刻は不向きという訳でもある、もっとも美術のどのジャンルも最初はスポンサーも何も無しで制作する訳だから狂気じみた忍耐が必要になるのだ、好きだからだけでは持続する筈もない、賞金稼ぎかご招待されるのはホンのごく一部の抜きんでた作家だけになってしまう

彫刻に世界に少しの間だけ籍を置いていた御陰で、日本の著名な作家さんに出会えたことはある意味幸せだったかも知れない、ロックの世界ものぞき見たし今こうしてデザインやプロデュースの仕事が生活になっているのもスタートはやはり彫刻にある

栄氏は先輩の作家さんだが、ずっと作品を作り続けているのは凄いエネルギーで、きっと皆さんも街角で彼の作品にお目にかかっている筈

「栄利明展」+α_b0057679_8231324.jpg同じフロアーのもう一つの「西山市博展」の作品が気になった、左のハガキを見るとこれが絵画だとは誰も思わないのではないだろうか、ピンぼけの写真のように見えるがれっきとした絵画なのである、じっと眺めているとクラクラしてくるのだ、人間の目は自動で焦点が合う高級な眼球システムを備えているのだが、それがこの絵一枚で狂い出し始めるのである

絵のモチーフもマネキンが多く丁度写真でピントを合わせ損なった仕上がりで、ひょっとしたらピンぼけの写真を模写しているのではないのだろうか、題材が街角のスナップのようなので余計に写真に見えるのかも知れない

近づいてじっくり見たのだが、油かリキテックスあたりでドローイングされている、実際に描いてみると解ると思うが、ぼかして描くのは大変な技術を要する、つまり筆跡のエッジも消さなくてはならないのである、エアーピースを使っているのかと何度も見たがやはり手で描いているように思える

マリーローランサンの絵を思い出した、彼女の描く婦人像もみんなボケている、最初に見た時なかなか可愛い絵と感心したのだが、彼女が近眼で眼鏡をかけていない話を知った時がっかりした記憶があるのだが、ピンぼけのマネキンはレンズを通すと良く出るゴーストのリングが描かれていてやっぱり写真機のピンぼけと同じように見えるのが面白い


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Commented by okko at 2007-11-21 10:36 x
叔父がデザイナーで、父を含め兄弟全員が絵を描くような実家にはデッサン用の石膏像が普通に下駄箱の上にあったりして、私も中学生のときにはデッサン教室に。「形も陰影もすごく正確なんだけど……一度眼科に行ってみたら?」という先生の言葉で乱視が判明。
でもメガネかけて見た世界は汚い! 西山氏ほどではありませんが、ふわっとまっすぐが「私にとっての正確」で押し通しました。当然ながらデザイナーにはなれませんでした(笑)
Commented by PUSH-PULL at 2007-11-22 08:55
叔父さんの頃はデザインという言葉もまだ行き渡らず、「意匠」とかが一般的だったのでは
石膏像が家にあるとは凄いですね、私が大学入試で描いたのはブルータスでした
音符の読めないミュージシャンや、色弱の建築家など世の中には色々存在するようで・・・逆に五体満足でもな〜んもでけん人も存在する
by PUSH-PULL | 2007-11-21 08:34 | アート・デザイン | Trackback | Comments(2)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


by PUSH-PULL