夏の終わりは何処へ〜

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いつのまに
デザイン事務所時代この靫(うつぼ)公園の近くに事務所があった、お昼休みの時間に公園をぶらぶらしたり公園の中のテニスコート横のレストランでランチを食べたりしたのだが、久しぶりの通り抜けた靫公園はすっかり様変わりをしていた

猛暑の残る午後、子供達は下着姿で楽しそうに噴水の水を相手に遊んでいる、この光景だけは見ているだけでホンマに楽しそうでケチのつけようが無い、暑い中仕事でウロウロしている自分がバカバカしくなってくる

現在では自然と戯れることは殆ど不可能に近いが、私の小さい頃には都市化に乗り遅れた自然が街のあちこちに取り残されていた、ため池があり道はまだ舗装されず風が吹くと家の中はざらざら、近くの川に行けば色々な小魚が釣れ、遠くの花火も家の大屋根から見え、深夜には淀川の鉄橋を渡る貨物の音が聞こえた

確かに生活そのものは確実に便利になったがこの便利さの代償は大きい、勿論今育つ子供達はおよそ我々とは別世界の環境で生きている、少し不安になったのは日本の子供達が本を読まなくなっていることで読書率はランキング外、その分自然で遊んでいればそれはそれで面白いのだが、哀しいことに家に閉じこもりゲームやケータイに没頭する、まさにコミュニケーション欠落

泥や水や砂、子供達は不定型なモノのが楽しいようだ、他にも動くモノに無意識に反応する、子供の教育に1本の木を毎日観察するという考えがあるが、非常に大事な発想で季節の移り変わりと成長に直に触れることが出来るのだ

犬の散歩で何時も思うのだが、飼い主たる彼・彼女達の大半は犬そのものが好きなのではなく「○○ちゃん」が好きなだけで、接する私としては非常にやりにくいことが多く下手すると私の行動は顰蹙モノ、先の木の観察の欠片もそこにはなく溺愛されて迷惑そうな生き物が存在するだけである

同じ感覚で子供の教育がなされていると思うとぞっとする、子供の虐待やモンスターペアレントなどはまさにその表れかもしれない、そこには親自身の子供の頃の環境が大いに影響していると思うのだがどうだろう、そしてその親世代が私たちなのだ
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by PUSH-PULL | 2007-09-07 08:36 | 写真 | Comments(0)

公園ののらら、仲良く並んでおります


by PUSH-PULL