階段話

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数を数える
小学校の頃、学校の階段の数を数えては駄目と教えられていた、数えるたびに段数が違っていて数え直す間に神隠しに遭うと言う話だったような記憶がある、いくら考えてもそこから導き出される教訓が何もないのが不思議だった、よそ事を考えて階段を上り下りしたら怪我をするぐらいしか思いつかない

と言う私は何時もよそ事ばっかり考えて行動している、タモリではないがまさに「趣味は妄想と寄り道」

行き違う車のナンバーでオイチョカブをしたり、目に入る看板を片っ端から音読で逆読みしたり、座席の前に立つ人の新聞を逆さに読んだり、数秒見た景色を目をつぶって何個思い出せるか、一週間の食事を順繰りに思い出したりなど頭のゲームには事欠かない

しかし努力むなしく少しも頭脳が明晰になった気配は一切無いが、暗算とか地図無しの町歩きとか「なんとか認知症」の進行の方は同世代の中ではましな方と思っているのだが、活字を含め根を詰めた思考が辛くなってきているのは事実である

階段の数調べは未だにやっている、昔大阪地下鉄の梅田駅の階段の立ち上がりに「頭痛・生理痛にノーシン」の広告が各段の立ち上がりに入っていて、それを一段ずつ上がら読むと何だが頭痛を起こしそうな気がした、勿論そんな広告を見なければいいものなのだがそうはいかない

エスカレーターを利用せず「に・し・ろ・は・と」と一個とばし駆け上がりながら数えたり、まるで役にならないことをやっているのだが本音は下半身の強化にある、一段ずつの時は必ずかかとから着地する、これが結構きついので長い階段の時は勿論エスカーレーターを利用

しかし段数が解った所でその階段の総数を記憶している訳ではなく単に登る時のリズム作りに近い、挙げ句の果ては見た瞬間に段数を予想しその数がぴったり合うと意外とこれが快感なのである

先日ふと前を歩く綺麗な女性のヒールを見ながら数え出すとこれがなかなか面白い、自分の段数ではなく見ず知らずの人の上る階段の数を数えるのである、数えるリズムと違った速度でこちらが上がるとなお複雑になる

何故面白いか考えてみたのだが一つは自分の数(リズム)というのを皆持っているが、スポーツの練習以外で人の数量を数えることはまず無い、つまり相手のリズムにこちらを合わせる訳で、こちらと相手のリズムの誤差が面白いのかも知れない、階段写真はもっとミニのモデルクラスの絵をアップで撮るつもりだったのだがバカデジではこれは少しやばい

ガキの頃に学校の校庭を歩く先生の速度に合わせ校舎の2階から、数人で「いち、に、いち、に・・・」と号令を掛けたことがあるのだが、殆どの先生はガキの号令に従うのは屈辱と見え途中でリズムを変えるのが面白かった、勿論その後の対策も怠りなく撤退コースも頭に描いていた

「見ず知らぬ人のリズムを計る」

ひょっとしたら大相撲の仕切の面白さはこの辺りにあるのではないだろうか、最近は制限時間前に立ち上がることはなくなってしまったのでかなり緊張感を失ってしまっているが、それでも2人のリズムが次第に早くなり緊張していく様はTVで見ていても感じることは出来る、まさに他人様のリズムにこちらを合わせようとする同化の面白さと思うのだが、如何だろう?
by PUSH-PULL | 2007-06-15 08:21 | ご託&うんちく | Trackback | Comments(0)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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