ろおじ

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ホッとするのは・・・?
先日京都の七条界隈を歩いたのだが以外と極端に細い路地が多いことに驚いた、路地の入り口は家の一部分で家の下をくぐるスタイルは大阪ではあまり見ない、もしあったとしても中庭や裏に回る道であったりする

こうした路地の場合普通は入り口に何枚も表札が掛かっていたりするのだがここには無い、この路地の入り口の路面はきっとこの家の敷地な訳で路地奥の家は他人様の敷地を行き来しているのであろうか

関西では路地を「ろじ」と言わず「ろおじ」と言うことが多いのだが私自身いつの間にか「ろじ」と発声していることに愕然とした、中学に入っても錆のことを「しゃび」と発音してみんなに笑われたことがあるのだがこれは私一人だったのでどうしようもなかった

私の住む町も路地が非常に多いのだがここまでは細く無く最低でも1間以上はあるが、ここは半間強で人とすれ違うのに少々気を遣う、同じ路地でも部落地区になるとお互いが横にならないとすれ違えないほど狭い路地もあったのだが最近そういった風景をとんと見なくなってしまった

面白い路地の写真を何年も見つけるごとに撮っているのだが自分でも何が面白いのかよく判っていない、ここに住みたいかと問われればいささか考えてしまうのも事実である、ただ梅田の再開発と称するガラス張りのリッチ&チープな構造物の時に感じる不安感はなく、ホッとするような安心感が生まれるのは事実である

もう一つは未知への興味というかこの路地の奥には何か自分の知らない世界があるのではないかというワクワク感がある、幼少の頃は繁華街を歩いただけでもワクワクしたし、少し物心が付くと夜の知らない大人の街を歩くだけでドキドキしたのだが、いつの間にかこの感覚は鈍り街の雑踏に吸収されてしまっている

この路地というのは手で捕まえられる空間に近い安心感があるのかも知れない、大阪の古い木造の家に育ったのだが、20歳を越えてから住んだ京都の九条山の家は建坪が100坪で仕事場の天井の高さは8メーター近くあった、コンクリート打ちっ放しのヨシダミノル氏が建てたアトリエで山の中腹と言う場所と広さと何もかも強烈なカルチャーショックを受けた、お陰でその家に慣れるのに数ヶ月かかったような気がする、そして10数年の後またぞろ大阪の実家に戻った訳だが畳の我が家がなんと手狭で落ち着かなかったことか(笑)

しかし直ぐに和が快適空間として私自身に融合したのである、いかに環境というモノが人の感覚を変え下手すると思考すらも変えかねないことを実感した、ひょっとしてこの路地の写真をみて楽しんでいるのは私だけかも知れないのだ(笑)
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by PUSH-PULL | 2007-02-27 08:30 | 写真 | Comments(0)

公園ののらら、仲良く並んでおります


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