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好きな色
人間それぞれ固有の好きな色を持っているが年と共に嗜好は変わっていく、ましてや美術やデザイン畑に足を突っ込むとますます選択肢は広がり複雑になる、好きな色があってもそのままインテリアに使える訳でもなくその色の服を着られる訳でもない

小さいときは黄緑色が好きだったそしてそれが空色に、小学時代は男の色とか女の色とかはっきり区分され赤とかピンクとかは好きだったとしても人前で口が裂けても言えない風潮がある、ましてや桃色やピンクは別な意味を持ち恥じらいすら覚えたものである

中学時代にはモノトーンで黒い紙に白い絵の具でしゃれた絵を描いたら美術の教師に一応褒められはしたが「もっと色を使え」と暗にけなされた思い出がある、高校時代は色という感覚は消え失せ好きな色の記憶はない

大学で美術を勉強し始めたころは人様と違ったこと目立つことを意識するようになる、金銀だったら絶対「銀」という感覚が薄れ嫌いだった金すら面白いと思えるようになった、そして花好きの私が目覚めたのは「朱」又は「赤」であるが引きづりにショッキングやストロベリー、チャイナ、サーモンなどピンクも大好きになった、その現れはウィンドウに飾られた薄いピンクのボタンが一杯付いたパンタロンのスーツを買ったことがあるぐらいだ(笑)

この赤色も巾があり私の好きななのはイエロー系のバーミリオンでインディアンやローズ系の赤はそれほど好きでない、印刷で言えば色の三原色であるY・M・Cの「M」マゼンダではなくM100+Y100を合わせた俗に言う「金赤」が好きである、日本名で言えば赤・朱・真朱・緋・猩々緋・茜などがそれに当てはまり紅色がそれ以外の色の範疇に入る

写真は岩船寺の三重の塔の軒下にある像だが拡大して見ると以外と粗彫りでユーモラスなのにはビックリした、建物の色は最近塗り直されたのか赤色も鮮やかでこうしてじっと見ているとくらくらする、横の紅葉の赤と言いこの季節は野山は赤色が圧倒的に目につく、早春の新緑も大好きだがこうした終わりの赤色も強烈で寒さを忘れさせる

b0057679_9154657.jpg石仏を見ながら山道を歩いていると道の所々に小さな鉄製の箱が備えられているのだが何用なのか解らなかった、小さな窓から見るとどうもお賽銭箱っぽいのだがそこには何もなく郵便ポストのようにじっと佇んでいる、まともなものもあったがほとんど鉄は錆てしまい鍵は壊れたまま、これでは寄進する人もいないであろう

一緒に歩いた友人達は阿弥陀如来などの賽銭箱に小銭を入れて手を合わせお祈りしていたが、私は昔からよほどのことがない限り寄進とか寄付とかの心得が無くいつもそしらぬ顔をしている、小さい頃人様からお年玉は貰ったことはあるが大きくなってからも子供に上げた記憶は皆無である(笑)詰まるところ罰当たりで宗教心は懐疑の固まりでゼロである

どうもすがると言う意識が希薄でこれは女性に対しても現れ最後には「薄情者!」と罵られるのである(笑)これ以上書くとだんだん惨めになるのととんでもない修羅場の話になるので差し控える、「朱」が好きなにのどうも交わる気配はなく未だに唯我独尊、我が儘で独りよがりの生き様で人様に迷惑ばかりかけているのかもしれない(笑)

「未だにガキっちゅうたらガキのままかもしれんのう」
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by PUSH-PULL | 2006-11-27 09:24 | 写真 | Comments(0)

遊歩道の,真っ黒のらら


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