毎朝、散歩に出かけると必然的に毎日同じ人に出会う、もちろん挨拶を交わすわけでもなく会釈をするわけでもない、お互い犬を連れていたりすると話すきっかけができ当たり障りのない会話が始まる
もし私が犬という媒介を所有していなかったらご近所の主婦やお父さん達と一生話すことはなかったであろうと思われるぐらい、そういった関係は得意ではなかった
一度しゃべってしまうとだんだん慣れてきてこちらから話す自分の存在に驚いている、しかし一人で黙々と歩く人とは会話を交わす機会は一切無い、これが走っていたりするのイカレタ人が多く喧嘩になったりする
「ランニングハイ」という言葉が一時流行った頃があったがそれに近いのだろうか?傲慢で自分の進む道の障害物を避けることができず排除しようとする
「こら、二人並んで歩くな!」数十センチを迂回することができず体がぶつかり何度か喧嘩になりかけたことがある、追い越しざまにやられるのであぶないことこの上ない
もっとも走ることに楽しみを感じていない人は経験値として長持ちせずいつの間にか公園に現れなくなる、走れば走るほどストレスを感じていては当然かも知れない
写真の二人だがウォーキングスタイルとしてはまるで違う、左の人は数年前から歩いている人で真夏でも歩き専用?の厚手の長袖長ズボン帽子に首にスポーツタオルをきっちりと巻き付けていて一分の隙もなく、機械的なぐらい適度なスピードでわき目もふらず黙々と歩いている
右の人はここ1ヶ月前から現れた女性で、スポーツブラにタンクトップに半ズボン、ショルダーはタンクトップの下に掛け揺れないように工夫している、歩幅も広くフォームもスピードも完全にウォーキングのプロと思われるぐらい様になっていて、左の女性に比べれば3倍近くのスピードで歩いている
真夏にTシャツに真っ黒な長手袋を身につけた女性を沢山見かけたがよく理解できない、日焼け止めが主目的なら長袖を着るべきで、二の腕が出ていてはお江戸の島流しのような場所だけ日焼けしてしまう
おまけに手袋が黒なので見た目が暑苦しいのだ、白より紫外線云々があるらしいが私にとってはファッション以前の感覚である
と言うことで私には左の女性のような衣装を真夏に着ることは絶対できない、それ以前に健康のためか何か知らないが歩くだけという行為がまずできない、歩くと言うことは何処か目的地があり何らかの用事があるときに限られる、よって散歩という言葉も難しく必ずカメラやなんやかんやら道具が付随する、登山という言葉もダメでこのときは高山植物撮影とか渓流釣りとか化石発掘とか必ず主目的が必要なのである
昔先輩格の友人に映像作家の宮井陸朗氏がいた(今彼の行方は誰も知らない)突然作家活動を中断してインドへ行ってしまった、数年後再会したときは黄色の衣装を身にまとい著名なラジニーシの高弟になっていた、日本へ戻るたびに京都の我がアトリエを訊ねてくれヨガを教えてくれたり本格的なカレーを作ってくれたりした、そして彼の言った言葉がいまだに残っている
「人間動くだけで余分なエネルギーを消費し早死にする」