会所

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連続配置と博打
どうも将棋から碁まで片っ端から手を出したがどれも芽を出さなかった、最初は小学校時代に将棋を覚えはじめ強いモノだけが生き残っていく。
父親が碁が好きだったので小さきときから五目並べかに始まって簡単な碁まで手ほどきを受けたのだが、五目並べだけは互角に打ち合えるようになったが碁はからっきしだめだった、もちろん将棋の方は負けが続くとやる気をなくしてしまう、ましてや碁の方は対局が大詰めを迎えたときに大逆転をされる悔しさはたまったモノではない、親父はわざとそういった打ち方をして最後に勝ち、ほくそ笑んでいた様子があるので余計にダメになってしまった

小さいときからの友達のM崎君は将棋が強くそのためだけに喫茶店に出いるするようになっていた、もちろん彼も私も理数系が大好きだったが、彼は京大工学部で数学を専攻し私は何故か彫刻畑へ180度違う道へ進んでいった

M氏その後はコンピューター会社に勤め日本の大型コンピューターからパーソナルへ移行する黎明期に西氏達とともに立ち会った一人でもる、何故か彼はその後現場を離れ出版関係へ転職し今は日経系列の会社のトップに納まっている

もちろん写真のような会所を外から覗くことはあっても入るのは初めてで、先日行われた落語会のおかげでこんな写真が撮れたのである(コンパクトデジカメでASA400にセットしたら荒くなってしまった)、写真としてはなんてことはないのだが私自身こうした連続したパターンがテーマとして大好きで、現代美術としてもそういった感覚の作家に好きな人が多い、もちろんパターンと言っても私自身の涙腺?ちがったみたい、美意識のバランス感覚に触れないとどうしようもないのだが

私自身、勝負事は一応人並みレベルに達しはしたが最終的には強くない、一番長続きしたのがやはり麻雀で京都時代私の住む九条山のアトリエは毎週末雀荘になっていたが、延べにすると30人以上出入りしているが黒字の人は数人で後はほとんどは負けが続くといつの間に現れなくなる、私と言えばかろうじて元点すれすれの黒字組でかろうじて雀荘(笑)の主として体面だけは保つことが出来た

カブでも本引きでも丁半でも麻雀でも、言えることは知的推理力と記憶力が絶対に物を言う、しかしその上のレベルに立つには先ほどの能力プラス一種の勝負感が備わっていないと絶対ダメである、碁などは子供の頃から始めると理論だけでは読み切れない全体を一瞬にして把握する能力が培われるという、もっとも向き不向きがあるので誰でも出来るわけではない

書画骨董貴金属も同じで小さいときから本物ばかり見ていると、いつの間にか真贋能力が備わるらしい、しかし私のように小さいときから偽物ばかり見ていると、大人になるとこんなに疑い深い人種が出来上がってしまうのである(笑)
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by PUSH-PULL | 2006-05-13 08:34 | 写真 | Comments(0)

公園でしょっちゅ会っているセナ君、キャバリアってみんな温和しくて愛想が良いのでは・・・


by PUSH-PULL