忘れていた敬老の日

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忘却とは忘れ去るものなり
子供の頃、授業参観に母親が来るのが嫌で仕方なかった、理由は高齢だったのと何時も参観中に居眠りするからである、後で考えると家族総出で休む間もなく働き、母親はその上炊事洗濯から私の授業参観にまで出てくれていたのである

若くて美しい母親が羨ましく、子供心に決まった時間働くサラリーマンの家族にどんなに憧れたか・・・下町だったのでそれほどのハンディも感じず育ったのだが、アルバムを見ると中学に上がる頃にはもう特に背の低かった母親を追い越していた

高齢出産だったので十代で亡くなっている、おかげで馬鹿息子は生前に一度も敬老の日を意識したこともなく何の感謝も親に返さずじまいだ、何時も泣かせていた母親が先に亡くなると頑固な父親は情けないほどみすぼらしくなり見ているのも辛かった

公園のベンチに仲良く腰掛ける二人、しばらくするとお婆ちゃんの合図で立ち上がり二人でゆっくりと杖をつきながら歩いていった

何故か両親が一緒に歩いている姿の記憶がない、そういえば一度だけ中学時代に近場の映画館へ一緒に「無法松の一生」(三船・高峰)を観たのを思い出した、家族みんなで食事に出かけた記憶もなく何時も年の近い方の兄や姉と遊んでいた

親からの遺産、人様には迷惑を掛けないことと自立心・・・こういった情景を前にすることでもなければ何十年も前の記憶を呼び戻すことはない、居間には両親の写真を飾ってあるのだが普段目にもとまらない、墓参りも長兄に誘われなければ出かけることもない、実家に住んでいるのに仏壇の扉は閉まったままで線香を挙げることもない、これで良かったのだろうか?
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by PUSH-PULL | 2005-09-24 09:31 | 写真 | Comments(0)

公園で久しぶりに会ったミニピンの太郎君、商店街に昔からあるお茶屋さんのわんこ、気が向くとこうして飛んでやってくる


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