木の根っ子を見て嘔吐を感じるのはカフカの世界だったか?じっと眺めていた時もし嘔吐を感じるなら多分こんなカタチではないかとふと思った
「変身」を読んだ時の驚きは凄かった、こんな小説があるのかと、しかしあれほど論議された実存主義は何処へ行ってしまったのか?何処へと言うよりも哲学そのものが霧の彼方に飛び去り見えなくなって、私の廻りにギスギスした現実だけがまとわりついている
フランツ・カフカの「審判」はオーソン・ウェルズやアンソニー・パーキンス、ジャンヌ・モローなどのそうそうたるメンバーで映画化されていた、そう言えば昨年「変身」も映画化されて日本に来てたはず、ああああ見ていない、残念!
日本で真っ先に浮かぶのは安部公房であろう、彼の「デンドロカカリア」はカフカが虫なら、こちらは植物に変身する、ある日コモン君がデンドロカカリアになってしまうのですから
カフカも以前に書いたデュシャンと同じ1世紀近くも前に数々の素晴らしい作品を残している、何という隔世間と能力
人間誰しも変身願望を持っているが、カブトムシや植物に変身し生活したいとは思わないだろう、ナルシスのみたいに池に映る己の姿に見入りそのまま水仙に変わってしまう希有な御仁も神話の世界にはいるのだが
まあ、普通だと化粧とかひげ剃りとかお芝居に稽古とかの他の目的無しに鏡を5分と眺めていられないだろうなあ、きっと
時々、電車の中でも何処ででも処かまわずずっと鏡を見ている若者を見かけるが、何考えとるんやろね
「テクマクマヤコン」とか「鏡よ鏡よ鏡さん・・・」とか「私って綺麗?」とか言いながら遊んどるやったら、そのまま水仙とまではいかんでも電車の座席に座ったままセイタカアワダチソウぐらだったらきっと変身出来る!
でも戻る時の言葉「ラミパスラミパスルルルルル」を忘れないように