風の色

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意識の中で
美術の勉強をしているとき「色」について色々と考えたことがある、人間は色を何故識別でき知識として共有できるのか、また物体の固有の色はどうして存在するのか

物体の色については皆さんご存じのように、光に対する物体が持つ固有周波数の反射によって色があるのだが、問題は認識する側の人間の方である

網膜に円錐の明暗を認識する細胞と円錐台の色を認識する細胞があるらしい、ところが網膜で認識された明るさと色が脳の中でどうして実像として見ることが出来るのかがあまり解明されていないのである、そこから先を深く考え出すと宇宙の問題と同じようにエライことになるので注意を要する

風の色_b0057679_8244462.jpg子供に「リンゴは赤、バナナは黄色」と教えていたら、「じゃあ、今日の風の色は何色?」と聞かれたという、この話はクライバーン国際ピアノコンクールで日本人で初めて優勝した全盲のピアニスト辻井伸行さん(20)

「僕は風が大好きで、風が吹いてくるといつも立ち止まって今日の風はどういう風かと想像します」

もちろん譜面が見えるわけでなく、複雑な曲でも耳で聞いて完全に覚えてしまうと言う、「朝ご飯の時の川の音がきれいだった」「木の葉の音が東京と違った」、まさに私たちが喪失してしまった感覚かもしれない

ニュースで大好きなリストやラフマニノフの難曲を軽々と弾いている姿を見て、普段クールでタフな私が感動してしまったのである、経済的には問題はなかったかもしれないが、生まれつきの全盲というハンディは想像以上の苦労と努力があったに違いない

昔、ヨットに乗っていたときや、今でも自転車に乗っているときは一寸した風にも敏感になる、コックピットにいる間はずっと皮膚が無意識に風を意識していた

全盲の彼の色とはいったいどういう世界なのだろうか、音の世界とは別に彼が「今日の風は何色?」と訪ねた彼の色とは・・・

余りにも色や風に対する意識が希薄になっている今、やはりもう一度原点に戻って考える必要がありそうだ

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<八百八分の百十二橋>昨日の神崎橋の下流で尼崎との境界の左門殿川と神崎川に分かれる、仕事で豊中に行った帰りだったので左門殿川の橋の写真はない、神崎川に架かっているのが「神崎大橋」、こちらは大橋と言うだけあって国道二号線が神崎川に架かる橋なのである

神崎川の昔の名前は三国川、航路として淀川から分流されて出来た川なのだが、なんと長岡京遷都(784年)まで遡る、橋としても昨日の神崎橋の方がもちろん古い、神崎大橋は大正に入ってから阪神間の産業道路として建設された阪神国道(2号線)が出来たときに淀川大橋と一緒に作られている、ちなみに長さは218.8mある

西淀川区はもう一度、橋を探しに出かけなければならない、神崎の河口に知らない橋が色々ありそうだ
Commented by 白髭 at 2009-06-10 09:51 x
眼が見えない人が みんな素晴らしいピアニストになれるわけではありません。 眼が見える優秀なピアニストと同じように 音に敏感で指がよく動くんでしょう。ですが風の色を考え感じる人は他にはいないでしょうね。それにしても感動しますね。
Commented by yasu at 2009-06-10 11:41 x
とかく全盲である事にフォーカスをあてますが、譜面が読めない私など
楽譜に関して盲目であると言えるでしょう。
それより何より、彼の演奏に感動するのは目から得る情報ではなく彼の
感性が奏でるタッチによる情感でしょう。
全盲の彼にわかるはずもない、観衆のスタンディングオベーションが彼
に伝わったのも、聴衆の感動の拍手だったでしょうから・・
Commented by 白髭 at 2009-06-10 16:42 x
yasuさん。いいこと仰有る。「美空ひばり」は譜面を読めなかったといいますから 盲目の演歌歌手とも言えるでしょうか?????
Commented by PUSH-PULL at 2009-06-11 08:57
譜面を読めないのは沢山存在するが、マイクもピアノも客席も何も見えないのです
by PUSH-PULL | 2009-06-10 08:32 | ご託&うんちく | Trackback | Comments(4)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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