快適生活のすすめ

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トラックの有意義な利用法
ああああ、あ、もう4月やなあ・・・
尻無し川沿いをチャリを転がしていたらとんでもない光景が、行きすぎてから気づき自転車に乗ったままデジカメをオンにして引き返す、逆流し撮りで走りながらシャッターを押したすぐ後おっちゃんと目が合ってしまった

トラックの前にいろいろな荷物が置かれ、写真を見て気づかれたと思うがバンタイプ荷台の箱に普通のアルミサッシのドアと窓が取り付けられ、後部にはもう一つの荷台が繋がっていた

トラックそのものは見た感じさほど痛んでおらず、すぐにでも走れそうなのだが完全に住居と化していたのだ、ホームレスのおっチャンから見たら夢のようなスペースに違いない

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このトラックのすぐ横の歩道に止められていたのが2枚目のトラックである、ありえない駐車の仕方で実はこのトラックの向こう側にももう一台トラックが、これは駐車という考えはまるでなく廃車でありもちろんナンバープレートもない

ナンバープレートがないと車ではないので駐禁にはお咎め無しだろうか、いつ頃からここにあるか知らぬがさすが大阪、底知れぬ魔界が町のあちこちに見え隠れしている

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<八百八分の五十六橋>東横堀川ではこの「高麗橋」が一番由緒があるのでは、橋のデザインもまさに日本の橋らしい、現在の大阪城天守閣に保存されている鉄製の擬宝珠(ぎぼし)は大阪城築城のとき外堀として東横堀川が改修されたときに架けられた高麗橋の擬宝珠とされている

また明治に入って一番最初の鉄橋とかえられたのもこの高麗橋、イギリスから輸入した橋でそのころは「くろがね橋」と呼ばれ大層評判になり人が絶えなかったとか、調べていたらその写真が存在し驚くほどモダンで美しいデザインである、こんなのが大阪に存在したとは驚きである、代金の契約をちゃんとしていなかったため出来上がってから当初の2倍も請求され外交上の問題にまでなったとか
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高麗橋で思い出すのはすぐ西の堺筋にある三越が有名で、何故かここにもライオンが鎮座しておりなにわ橋と言いこのあたりはライオンだらけなのだ

下の写真は明治初期の高麗橋で東横堀川も今よりもずっと川幅が広かったようだ(写真は長崎大学付属図書館所蔵)、昨日の3枚目の閘門の写真は高麗橋の上から撮影したもので現在の川の狭さが解ると思います、さすが著名な橋だけに探していると資料もいろいろと残っておりました
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Commented by 白髭 at 2009-04-01 10:44 x
だんだん面白くなってきますね。こんなきれいな「くろがね橋」だったとは???  後方のツインタワーみたいな物見櫓は 蔵屋敷のものだったんですね。三枚の図や写真にもあるので 随分遅くまで残っていたんだなあ。
Commented by okko at 2009-04-01 13:11 x
「邪魔やなぁ」2枚目のトラック写真見た瞬間に思ったのはそれだけでした。大阪人は底知れぬ魔界に心まで侵食されつくしている(笑)
Commented by まきこ at 2009-04-01 21:07 x
きれいな町並みやなあ。この景色いつ頃まであったんでしょうね。
それに、下の写真 川のきれいなこと。
Commented at 2009-04-02 13:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by PUSH-PULL at 2009-04-02 13:29
ほんまや、完全に私の思いこみ!「高」の文字が高島屋に無意識に繋げてしまったのかしら、反省
by PUSH-PULL | 2009-04-01 08:43 | カルチャー | Trackback | Comments(5)

珍しく我が家のマイマイが甘えに来た、正式名は「シャー・アズナブール・マイマイ」と申します


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