写真を撮る手が一瞬ためらうような光景である、久利須村の道ばたで見かける野草と違って私の住む大阪の町の花は憐れである、花が憐れならばそれを愛でる人もアワレなのかもしれない
土があっても満足に成長できない環境は、いつまでたっても落ち着いて教室の椅子に座ることの出来ない子供達と似ているのだろうか・・・
左のプランターはどう考えても入ることの出来ない場所にある、JR高架下のフェンスの中なのだが手を伸ばせば届く、すぐ横の奥行き20センチほどの土に植物を植えた人ときっと同じに違いないと思うのだがどこからどうして入ったのだろう、ひょっとしたらJR職員の花好きだろうか
サクラソウ科のシクラメンと葉が似ているのだがどうも違う、ベゴニアも似た葉っぱですな
右は公団の中庭らしきスペース、新しく作り直したのかベンチも遊歩道も新しい、しかし折角の植え込みの広いスペースがどこもかしこも痛い!さすがに木を植えたところだけ少しだけ土が顔を見せているのだが、見ているだけで心が落ち着かなくなる
毎日この光景を眺める周りの住民は何とも思っていないとしたら、精神的病はかなりの重症である、枯山水ではあるまいし雑草すら拒否する庭の存在意義はどこにあるのだろうか?
上の写真は浪速区で写したものだが下の写真は同じ集合住宅でも此花区で撮影、こちらのほうは私の大好きないろいろな木や草や花がまぜこぜで作られた植栽で、もちろん柵もなくちょっとした築山風情の造園である
<八百八分の五十一橋>わっわァ〜、橋の数が信じられないことに五十を超してしまったのだ、昨日の安堂寺もそうだが今日の久宝寺も大阪の人にとってはなじみの名前である、もちろんお寺があったから久宝寺という地名が付けられ橋も「久宝寺橋」、の筈なのだがそのお寺の存在が未だ定かでないのである
新町や道頓堀の遊所に近く昔は、紙子、文具、合羽、白粉を扱うお店があったとか、今は船場に近いので久宝寺筋は装身具や服飾小物が問屋がずらっと並んでいた・・・のだが最近は残念ながらシャッターが下りたままや更地が多く歩いていても何だが寂しくなって参ります