先日北区の北の方にあるギャラリーへ著名な先輩格の作家の個展を見に出かけた、今回は珍しくタブローでスタイルは何となくアンフォルメルのアートを想起させる
と写真と文章を読めばまさに額に入れた絵画なのだが、この絵は街角で見かけた家の外に掲げられた古びたホワイトボードなのだ、実はギャラリーに行きはしたがもっとおしゃれでかっこいい作品が並んでおりました、これは手持ちのデーター素材の額縁に入れはしたが中身はそのまんま、この額縁というところがギャラリーであり美術館なのかもしれない
もちろんそこには街角でたたずみカメラで記録する行為の中に私自身が存在する、この何でもないホワイトボードにアーティスティックな匂いを感じたのは間違いないのだから
抽象絵画の価値判断は難しい、何度もこのブログで書いている私の教祖でもあるマルセル・デュシャンの「泉」は既存の洋式便器にサインがあるだけ、作家を知らずして便器を前にしてもなかなかゲージュツとして理解することは難しい、しかし便器一つも単なる思いつきではなくいろいろなスケッチが残されている
もう一人の先生でもあるヨゼフ・ボイスはレストランで食事中ボーイにサインを頼まれ目の前のコップにサイン、このコップがオークションにかけられ10万近くの値段で落札された
一つだけなら解らなくもないがもう一度頼まれるとさらに何個もコップにサインしたと言うからすごい、もちろんこのホワイトボードに私がサインをしたところで、結局大型ゴミ処理費を間違いなく払わねばならない(笑)
フィラフェルディアまで見に行ったデュシャンの大ガラス「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」は埃さえも作品の一部であり、搬送中にガラスが割れたのだがそのまま補修し作品が完成した、また美術学生がこの作品のレプリカを作ったときは、彼はこれは私の作品であるとわざわざサインをしたほどだ
こうしたデュシャンのレディ・メイドと呼ばれる既製品を使った作品は、それまでの芸術という概念を根底から揺さぶることにもなったのだ
アーチ支間91.4mで幅19m、瓦斯会社の注文で舟が通れるようにと支間が広く作られたのはいいが、なんせ日本一のため揺れるは変形するは鉄橋設計も未成熟だ・・・どんどんと支間は広がり橋の高さも低くなり、新たに昭和49年に橋が架けられその後古い橋は撤去されたのだ
と言うことで下の写真はもちろん新しい橋、親柱には紫雲石が使われ、下流川にはベートーベンの「歓喜の歌」の音符がデザインされているらしいのだが、知ったのは家に戻ってきてからと言う情けなさ
大正に架けられたので大正橋は理解できるが、大正区の大正がこの橋からとは俄信じがたい、この橋のすぐ南に環状線大正駅があり私の大好きな沖縄料理のお店がずらりと並んでおります
写真では解らぬがこの川の交差点の下を阪神電車難波線が新しく走るって信じられますか