最後の市場

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消滅寸前
市場はご多分にもれずもう半分ほどしか店が残っていない、しかし入り口の八百屋さんは朝早くからお店の準備にかかっていた、向こうの入り口の手前に精肉屋さんがあるのだがこのあたりで一番上質のシマ腸をおいている、たんまに人を集めてやる自家製のタレで作るてっちゃん鍋の時はここまで買いにくる

この市場と平行して倍以上の規模の中江町市場があったのだが、何年か前に無くなり今ではマンションという信じがたい光景になっている

この二つの市場は新橋筋という商店街に繋がっていた、商店街の方は何とか今もなんとか頑張っている、おもちゃ屋さん服屋さん鞄屋さんなどが減少し、マッサージに百均に格安の美容院などが進出してきた

市場は色々な店を記憶している、閉じる間際まで尾の身と鹿の子を売っていた魚屋さんがあり大好きなハリハリ鍋の時はちょっとお高かったが嬉しかった、お店ででっかいカンナで削っていた鰹節屋、量り売りのお味噌、これまた量り売りのバター、子供の頃いつも足で蹴飛ばし寝ているドジョウを動かして怒られた川魚屋、そう言えば直径1mぐらいの円盤の砥石で包丁を研ぐ店もあった

青果屋に八百屋、乾物屋さん、塩干の魚屋、米以外にも色んな豆類と粉が並べられていた米穀屋、醤油と油屋、漬け物屋、お茶屋、焼き魚と煮物がメインのお総菜屋、店先に大量の量り売りのおからと揚げ物が並べられた豆腐屋、練り物屋、足袋を穿いた足で昆布を押えとろろ昆布を削っていた昆布屋、鉄板の上でホルモンを焼いていた精肉屋、そして食べ物以外にも呉服に茶碗屋に生花屋に日用雑貨屋さん、

市場に行くときは買い物カゴ持参、お茶でも何でも量り売りが常識で、豆腐でもパックされることはなく頼んでから水中で切られて舟に載せられ新聞紙、店先の天井から釣り銭用の駕籠がゴムで吊され、夏場になるとくるくる巻の蠅取り紙が吊される

すぐ近くに中央市場があるので、野菜も魚も何もかも豊富で新鮮で安かったのになあ

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<八百八分の十五橋>さらに木津川を下る、松島公園の所に「松島橋」がある、この橋は渡っても抜けていないのでさらに車の通行は少なくノンビリしている、面白いことに親柱の片面に大阪の象徴でもあるひょうたんが彫られていたのだが、あのおっちゃんと何らかの関係があるのだろうか?

調べたら江戸時代このあたりは寺島と呼ばれ松の古木があり松の鼻とも呼ばれていた、この風景を見るために遊客が舟に乗って見にあつまったとか、明治に入りここ松島に大阪市内の遊所を集め大阪最大の遊郭が出来上がった、その時に作られたのがこの松島橋だとか
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Commented by 白髭 at 2009-02-13 09:25 x
あの松島という名前は 当時は「島」という表現が出来る場所だったんですね。
我が家も現地に済み始めたころには 結構大きな市場がありましたが 無くなってジャスコが出来ました。しかしここも近くの駅前に大きなデパートが出来て客数が減り 近く閉店します。
Commented by yasu at 2009-02-13 13:08 x
田舎の実家に居た子供の頃、米屋があって極々たまに米と一緒に『プラッシー』が届きました。
うれしかったなぁ

おかんの買い物に付き合って、そっと買い物籠に団子を入れたのを覚えています。
Commented by PUSH-PULL  at 2009-02-13 20:47 x
便利さから言ったらスーパーなんだけど、市場のお店の人とのやりとりは何もにも変えられません、生産地から料理法まで・・・
もちろんそのころはハウスものがで廻る前で、安くて美味しい旬の露地物が一杯でした
by PUSH-PULL | 2009-02-13 08:58 | 写真 | Comments(3)

ご近所ののらら、面白い配色


by PUSH-PULL