川口居留地

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少し歩けば
延ばしにのばしていた大阪港がやっとこさ明治19年(1868)開港したときにここ川口に外人居留地が設けられた、と言ってもほとんど建物は残っていないのだけれど、川口と言えば出てくる日本聖公会川口基督教会が有名なのだがこの建物も1915年に再建されたものである

上の写真の建物は長い対象型の煉瓦造りなのだが何故か中央の背の高い建物だけがリニューアルされガラスタイルなどが使われモダーンなのが面白かったが、建物の名前は判らずじまい

b0057679_8552171.jpg大阪港を開港してからこの木津川沿いに大阪府庁に市役所と次々に建てられ、まさに大阪の中心部になったのである、外国居留地は何となくロマンティックに感じるが考えてみると地域限定の居住と営業という一種の幽閉である、もちろん明治32年(1899)には差別的な居留地は廃止されているので、一種の死語だろう

港として栄えた川口は水深が浅く、その後大型船が停泊できる神戸港が東洋最大の港となりここ川口は衰退、その後中国人街として栄えたらしいが戦争で帰国したりバラバラになってしまい結果的に人っけの無い倉庫街として残った

調べたら川口キリスト教会は布教活動の一つとして学校教育に力を注いでいて、そして作られたのが平安女学院、プール学院、大阪女学院、桃山学院、立教学院、大阪信愛女学院・・・すごい、始めて知りました

横浜でも神戸でも中華街が生き続けているが大阪だけはダメだったのは何故だろう、中国のエネルギーはすごく、パリでも何処でも私たちと同じような顔をして働いている人は100%中国人と思って間違いなく、日本語で話しかけると怪訝な顔をされます

橋づくしのお次は中之島をさかのぼって四つ橋筋の渡辺橋と肥後橋だったのが、10数年前までのデザイン事務所時代に連日のH某広告代理店詣ででとんでもない回数この橋を渡っている、つまり写真を撮る楽しみがまるでないのである、フェスティバルのある新朝日ビルも取り壊されるとか、すごく時代を感じてしまいます

むかしむかし渡辺橋と肥後橋の間にある新朝日ビルの場所にはアサヒアリーナというスケート場がありました、かすかながら滑った記憶があるのだが、いくつの頃だったが定かではない

<八百八分の十三橋>木津川にかかる「しはわうせ」のアップしたので少し木津川を下ることにした、昭和橋の次が「木津川橋」、ここが本町通りの西の端に当たる、野田阪神から川口・本町・谷町・馬場町・森ノ宮と続く市電が通っていたのだ、歩いて渡るのは滅多にないのだが妙に懐かしい橋である、そしてこの橋を渡り本町通りを東に進んでいくと北側に石造りの馬の水飲み場があったのだがもちろん今はその確かな場所さえ判らない

※アップした居留地の版画は無断転用です、すみません
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Commented by 白髭 at 2009-02-10 09:34 x
現役の頃 元居留地のあたりに中華街を復活させようという運動を取材したことがありましたが その後全然話を聞きません。 やはり駄目だったんですね。
Commented by PUSH-PULL at 2009-02-10 13:40 x
え、そんな動きがあったのですか?
実現していたら面白かったのに、安治川と木津川沿いって今でも結構大阪らしくない雰囲気があるのになあ、残念なり
Commented by mimopowerOM-1 at 2009-02-10 17:35
1枚目のレンガの建物は、旧居留地だったのですね
よく見かけていました、何かいわれのある建物かと思っていたのですが
やはりそういういわれの建物だったのですね
道を渡った向こう側にラブホがありますな
Commented by PUSH-PULL at 2009-02-10 20:59 x
残念ながら1枚目の写真も、居留地以後の建物だと思われます
橋を渡って左のホテルは、どちらかというとビジネスホテルっぽかったけどなあ、ちゃんと観察しておきます
Commented by PUSH-PULL at 2009-02-11 08:56
川口追記:この建物に入っていたのは個人2軒、半分近くが貿易会社で後英会話教室とデザイン会社と名無し
ホテルはこの橋ではなく次の木津川大橋の両サイド、一応ビジネスホテルと看板に書かれていましたが、内容はラブホテル、しかし今朝の8時前は3軒とも駐車場に車の姿は見あたらず
こちらの商売もあきまへんか
by PUSH-PULL | 2009-02-10 09:00 | 写真 | Comments(5)

公園ののらら、朝ご飯が運ばれるのをみんなで待っております


by PUSH-PULL