朝の散歩の時間がぽっかり空いてしまい、今度は私自身のために橋を渡るべく歩き始めたのだが、今まで何の意識もしなかった橋をこうして文章化しているとこれがなかなかはまりそうなのである
歴史的なことを調べる気はさらさら無い、川と橋を眺めているだけで楽しいのだ、1月24日に安治川隊道の源兵衛渡しを載せてから橋のことが気になり始め、その1回目が堂島大橋で始まった
<八百八分の八橋>今日の橋は一度渡ったのに何故か記録していなかった、もう一度撮影に出かけたのだが親柱の文字「しはわうせ」を見たとき一瞬「?」読めないのだ、旧仮名遣いはある程度はなれているつもりだったのだが、頭の中がぐちゃぐちゃになってきた、やっとこさ「昭和橋」だと何とか理解したのだが、もう一度仮名文字を見るとまた頭がグルグルしてくるのがおかしい、こうして打ち込んだ文字を見てもやっぱりおかしい
これが縦書きだったらまだましなのだが、すっかり西洋かぶれしてしまっている今、みなさん「しはわうせ」をすんなり読めたでしょうか(笑)
このあたりでは珍しい鉄骨の橋桁で、鋼橋の中程で昭和7年建造の文字を発見、古い、私より古い、第2次世界大戦より古い、ちゅうことは戦禍をまぬがれてきたわけでそれだけで凄さを感じてしまう、この形状の橋で目に付くのはやっぱり今立て替え中の銀橋が浮かぶ
古さで思い出したのだが、府庁の南港にあるWTCへの移転話が話題になっている、地震のために18億円なにがしの補強費が必要なる記事を見たのだが、WTCは今年でまだ20年目、耐用年数のこともあるが最初の設計段階と今と何が違ってきているのかさっぱり理解できない、20年で耐震レベルが引き上げられたのだろうか?
どうも府庁は災害対策拠点になるのでより以上の強度が必要らしいが、なんだか我々を見殺しという感じがしないわけではない
昭和橋は実は中之島の南側を流れる土佐堀川に架かっていない、堂島川と合流し安治川になる直前に枝分かれした木津川に架かっている橋で、船津橋・端建蔵橋・昭和橋と三つも橋が連なっている
中之島は約3キロほどの長さなのだがそこに24個の橋があるが、私が短時間で歩いていける距離の橋が無くなってきているのである(笑)どうしよう、逆に昭和橋から川下の橋は約3キロ離れた43号線までないのだ、そしてその先は車しか通れない湾岸線の天保山大橋を経て大阪湾
どっち向いて歩いていこうかなあ〜
橋、橋と書いていると色々と連想されてくる、「戦場にかける橋」「マディソン郡の橋」「橋のない川」・・・・・・「渡良瀬橋」うん?
楽しみにしています!!!!!
四ツ橋筋は埋め立て道路なので「四ツ橋跡」の碑はあります。交差点の片隅に。
交差点に昔の絵図(四つの橋が四角形に架かってる)の面影あり
なるほどなぁ、と思いました。
仕事調べで興味のないことの知識ばかりが増えています。
一読者より。。。。\(^o^)/
しかし私はまだ八橋やでえ〜どうすんの
堀越神社って何処にあるのですか?
奈良のギャラリーはここからはかなり遠く、一人ではなかなか出発できないのであります、NYの方からもミノルさんのことで問い合わせがありました、出元気な旨を伝えておきます