IE9ピン留め
工場長屋
あ、ああああ、二月になってもた、昨日は久しぶりに朝から屋外の現場仕事、この冬初めての暖かい長袖のアンダーシャツを着ました

上高室橋から今日の伊予目橋までの間、平野川分水路の西側の川沿いの道にずっと同じスレート葺きの町工場が並んでいる、ところがシャッターは錆びて看板も大半が無く実際に使っているのはすこしだけ

多分建物を建てて町工場を誘致したとも思われるが今はその面影もない、川沿いに工場が並ぶと河川の汚染が心配になってくるのだが、工場の大半が閉鎖しているからかどうか知らないけれど以外と分水路の水は綺麗でした

橋の話しを毎日書いていると「橋」の文字に反応する(笑)、毎日のように「はしした」の言動がメディアを賑わしているが、完全にマスコミは彼の広報と化しているような気がする、時には彼のローカルニュースが全国ネットで取り上げられたりと

市の職員も大変だろうと思ったら、案の定3月末までの早期退職希望者が前年の2倍もあり650人、公務員という職業はどうも私の性には合わないのだが(もっとも採用されないと思うが)こんなのが上に来たら間違いなく揉めてクビに

市長職にもかかわらず大阪府立の学区に注文をつけ校区を無くするとか、昨日の夕刊のトップは<橋下氏「全府で学テ」>、エライはしょり方の見出しだが、つまり府内全中学生を対象とした学力統一テストを実施し格差を付けようというモノ、ポチヘースケコンビの新自由主義の延長線でますます格差社会を推進する

少しでも自分を非難する評論家に出合うとたちどころに攻撃そして自爆、「はしした君」は診察もしていないのに病気だと診断されたと香山リカ(精神科医)に攻撃をかけたのだが

彼女の返事は「学者や識者の批判を拒絶する橋下氏は、少々批判されると黙っていられないほど繊細で脆弱な神経の持ち主なのかと、それこそ“診断”したくなってしまいます」と、さすがです


「八百八分の四百十八橋」と言うことで今日の橋は「伊予目橋(いよめばし)」、名前からすると愛媛と関係があるのかしら、橋の感想を書こうと焦ったのだけれど、どうにもこうにも特徴の無い橋でございます
まか不思議、映画「ブリューゲルの動く絵」を見てきました
映画が始まるとブリューゲルの「十字架を担うキリスト」がスクリーン一杯にとんでもない高画質で広がる、ところが絵の中の人が全部動いているのである

そして画面に画家のブリューゲルが登場し、彼のナレーションと共に絵の中の描かれている風景と人についてのお話しが始まる、ずっとセリフもなく農村の日常生活が描かれていく

こんな映画を見たのは初めてで、私の知らない不思議な映像空間が繰り広げられるのだが、ただただ美しく見とれてしまう、たった1枚の絵からこんな面白い映画が生まれるとは

画面の中央にキリストが描かれているのだが、周りの人は何故かたまたま行列に居合わせ、イエスの代わりに十字架を背負うように命じられた左下のシオンに目が向けられている、絵の中にはまか不思議な色々なお話しがある

崖の上の小麦を挽く巨大な風車、パンを売る行商人、スペインからの赤い服を着た侵略兵士たち・・・16世紀のベルギーのフランドルの風景の中に聖書の物語を重ね合わせ綴られている、時間系列を飛び越えてしまった、描かれている絵の中のストーリーや歴史が少しでも判るだけでこんなに楽しくなるとは

ブリューゲル役にあのブレードランナーで適役を怪演していたルトガー・ハウアーが、見事に老けておりました、そりゃ30年もたっているもんなあ、ほかにもシャーロット・ランプリングやマイケル・ヨークなど

監督のレフ・マイェフスキは初めてなのだがポーランド生まれ、もしブリューゲルをお好きなら絶対見ることをお勧めします、今も私の頭の中を映画で見た断片が次々表れては消えていきます、ちなみに劇場は九条のシネ・ヌーヴォ

映画の後は一緒に行った姪と夕食を兼ねて居酒屋へと思ったらお目当てのお店は日曜日でお休み、思い出したのが九条商店街の外れにある草鍋の「小川下(こかげ)」、予約を入れていなかったのだがタイミングよく、カウンターに座るときにはもう鍋のガスコンロに火が付いておりました

久しぶりだがやっぱり旨い、僅かな豚肉と大量の野菜、入っているのは底から豚肉・豆腐・しろ菜(広島菜)?・春雨・もやし・にら、段々と煮えてくると嵩が低くなる、小鉢に入れられたお醤油に辛子を少しずつ溶かしながら付けだれとして頂く

最後の〆にご飯と卵で雑炊、つきだして出される手作りの山椒の実がこれまた旨いのです、映画も食事も満足な一日でした
要注意
朝早かったからかコンデジのストロボが自動で点灯、ピントが合っているのだが何故だか金網だけ二重に写っている、色々と考えてみたのだがストロボによる金網の影が後ろの壁に映った為と思われる

デジカメのレンズ位置とストロボは2㎝程しか離れていない、その差が影が映る原因だろうか、タオルの影はまるで気にならないが、写真は手振れに近い2重写しの写真のように見えるのが面白い

散歩の時に時々通る場所なのだが、以前はタオルが一,二本だったのだが急速に増えた、ここまで架けるのならちょっとした物干しを用意すればいいのに人ごとながら心配する

と言うのはこの状態を継続すればたちどころにタオルを架けた場所だけネットが錆びてしまうからである、マンションのお掃除も大変だと思うのだが以外と見過ごされがちなのが掃除用具

心斎橋近くの宝石店の看板を作ったことがあるのだが、お洒落なお店なのに直ぐ横の細い路地に雑巾・バケツ・モップが無造作に立て掛けられていたのだが・・・


「八百八分の四百十七橋」またまた階段橋の歩道橋は「上高室橋(かみたかむろばし)」、これもちと読みにくい

小さな橋なのに馬鹿でかい鋼管が使われていてなんだかアンバランス、他の歩道橋の写真を調べて見たのだが、私が記憶していなかっただけで結構同じ構造のものがありました
何れ
「いづれ」と打ち込んだら、ATOKさんは「いずれ」の間違いですと教えてくれました、毎度の事ながら「づ」と「ず」をよく間違える、頭の中で濁音無しの時を当てはめてみるのだが・・・「何時=いつ」だから「いづれ」と思っておったのだが

「いずれ」は、代名詞だと「どちらか」「どれ」の意味で、副詞になると「どっちみち」「そのうち」となるのだが、写真の看板の文面でいくと「何れ」の選択肢がないのだが、「どんな問題でも大丈夫の意味」だと大変なことになり、「そのうち」だと笑い話になる

お客さん相手だと「致します」ではなく「承ります」が正しい、大家さんの意思を尊重すると「どんな相談でも承ります」になるのだろうか

「大家さんヤクザでも入居できますか?」
「某宗教団体に信者なのですが大丈夫ですか」
「仕事を何もしていないのですが」

書いていて気づいたのだが電話番号の局番が3桁!ちゅうことは大昔の看板なのだろうか、その割には汚れておりません


「八百八分の四百十六橋」微妙にデザインされている親柱の「上柳原橋(かみやなぎはらばし)」、この手のレリーフ系のデザインは汚れるとどうしようもありませんな
廃棄敢行
世の中廃棄したい物だらけ、逃電の福島原発、原子力ムラにたかる先生、新ならぬ旧の「石原老害党」の面々など

ここ数年お掃除に部屋の片付けなどの本がベストセラーになっている、「断捨離」に「ときめき片付け」・・・一番だったのは漫画家(じみへん)中崎氏の「もたない男」で、ここまで行くともう驚愕の精神力、走りは「超整理法」あたりだろうか

ダイエットと同じで裕福な日本人の裏返しでもある、痩せられる脂肪に捨てるものがあるというのはいかに贅沢な生き方をしているか私自信を始め考え直した方がよろしい

そもそもの始まりはでっかいコピー機に黒い筋が入り始め、ドラムを交換するにも古くて部品が無い、で買い換えようと思ったら今時コピー機はほとんど製造しておらず大半が複合機、複合機というのはコピー・プリント・スキャナー・ファックスの組み合わせ

ところが事業所用の事務機器は基本窓組に作られていてリンゴ組には愛想が悪い、中古で10万前後の複合機にMac対応のオプションが10万円と言うバカみたいな話しがまかり通っております、かといってMac対応の現行の機種はだいたいが100万円前後で絶対無理

でやっと見つけたのが先日アップした複合機、やってくる前に今あるコピー機の処分が必要で最初の会社はでっかいコピー機引き取り代に2万円以上必要とか、ネットとでやっとこさ無料で引き取る会社を見つけた

そこで蔵にしまってあるパソコンに今は使わないプリンター類も処分することにした、マックの方はオークションにかければ売れなくもないが梱包と発送が大変なので思い切って大蔵ざらえ、昔のフロッピー時代の物から最近使っていたものまでマックが10台、ほとんどが今も使えます、他にA4のプリンターにA2のプリンター、こちらも動くのですが接続ケーブルが問題で今使っているパソコンではダメ

他にオーディオアンプにPCの色々な周辺機器など多数、積み込みを手伝って泣く泣く思い出のマック達を見送ったのですが、こうした業者は無料もしくは数千円で事務機を回収し、使える物は手入れをして数万円で転売しております、また使えない機器でもスクラップとして売ることが出来るそうです

世の中色々な商売があります、さて次は何を処分しましょうか?でもまだ使っているものを含めばパソコン4台とプリンターが5台あるんやな


「八百八分の四百十五橋」下の次は「上丁ノ田橋(かみちょうのだばし)」、少しモダンだと思ったら下丁ノ田橋より7年新しく昭和58年に架けられております

同じ川幅と道路幅なのに、橋の長さが3m以上も違うのですが理由が分かりません
ややこしい
愛機のPowerBookG4はバッテリーフル充電で無事社会復帰いたしました

私はどちらかというと迷子にならないと言うか方向音痴ではない、知らない町でも同じ道を通らずに飯屋に飲み屋を廻り駅に戻ることが出来る

昔の話しだが梅田に地下街が出来たときとんでもない人出で、初めての地下街で大人の迷子続出と言うのがニュースになったぐらい、もちろん私自身も初めての地下街だが頭の中には地上の地図がちゃんと描かれていて間違いなく目的の出口へ

これは地下鉄千日前線難波駅のホームの表示看板、出口の番号が15A~30まで20カ所もある、よく何番出口という言い方をするが余り私は利用したことがない、おまけに名称変更が多数有り訂正のシールが11枚もある

この看板で方向を確認しろという方が無理、と言うのは書かれている名前がアバウトすぎる、やはり直ぐ隣に簡単な地図が無いと把握するのは困難を極める

日本にはピクトグラムという絵で表示する(代表的なのは非常出口)文化が結構発達していると思うのだが、今日の案内看板を見ると文字だらけで見る気も起こらない、この私ですら難解なのに他府県の人だとロス無しでの地上脱出は不可能

地下鉄の乗り換えはどこも問題で、特に後から出来た長堀鶴見緑地線へは難解そのもの、駅によってとんでもなく迂回させられる場所が沢山ある、それに工事中の駅が多数あります


「八百八分の四百十四橋」変わった名前の橋は「下丁ノ田橋(しもちょうのだばし)」、下と来ると次は上、一つ前の巽橋とデザインは同じなのですがこちらは変なペイントはありません、おまけにレリーフも無し

昭和51年架設、鋼床版桁橋、長さ:23m、道路幅は一つ前の巽橋の半分もないのだが、橋の長さは3mも長い
堂島大橋
ブログ用のデーターが入っているMacノートのPowerBookG4が朝からご機嫌悪い、ここ数日仕事場の大幅なレイアウト変更をやったのが影響したのかしらね

デスクトップのG5で初めてのブログアップ、写真もデジカメに入っていたのを使って書いております、今朝の大阪の温度はこの冬初めての0度!、確かに冷たく早足で歩いても体が温かくならず手は冷たいまま

写真はデジカメに入っていた昨日の写真、堂島大橋越しの朝日がちょうど国際美術館の上に上がってきたところで、肉眼では縦長のおもしろ光だったのだが、写真に撮るとハレて全部フラットになってしまった、逆光の写真を写すのは難しいのだ

コピー機に黒い線が入り出して数ヶ月、代わりに中古だがでっかいモノクロ複合機が我が家にきた、どうも業務用はマックと相性が悪くドライバーをインストールするだけでも四苦八苦、ノートの方は上手くいったのだがのG5の方は未だにプリントできておりません

プリンタ設定の追加でインストールした複合機を選択するとき、種類のところにAppleTalkとBonjourが出てきて?、AppleTalkは知っていますがボンジュールって何なのびっくりです、メーカーと何度かややりとりをしたが電話でのこの手の相談は非常に難しいのです

橋のデーターはG4に入れたままなので八百八話はアップできず



遊具
コーナンの帰りによく通るちょっと大きめの公園、寒いとさすが子供もいてません、砂場に置かれたコンクリート?の椅子、右は何となく兎に見えなくもないのだが、左はどう考えても何を模して作られたのか皆目見当が付かない

連想したのは千と千尋に出てくる「ススワタリ=まっくろくろすけ」あたりなのだがだいぶ違いますな

大阪市の公園の遊具設置は色々問題が多い、毎朝散歩で通る下福島公園ではブランコ類は全部撤去されてしまい動かす遊具はほとんど無い、砂場にこの写真とよく似た石のかたまりが置かれたのだが、フェンスの直ぐ近くで後ろに転がると間違いなくフェンスで頭を打つ位置に置かれている

さらに野球の試合が2面出来てバックネットもあるのだが、何故か先日ベンチが撤去されてしまった、お陰で有料で借りている草野球は座る椅子すらない

大阪は公園そのものの考え方が「?」、いくら面白いプランでもメンテナンスが必要な物はまず採用されない、つまり作りっぱなし置きっぱなし、この考え方が事故の元


「八百八分の四百十三橋」久しぶりに道路が広くなった、173号線に架かる橋は「巽橋」、旧町名から付けられている、少し東に地下鉄千日前線の「北巽駅」があります、巽は方位で言えば南東になるのだがやはり大阪城あたりを大阪は基準に、○丁目もすべて大阪城に近い方が数が少ない

珍しくデザインされたブロンズのレリーフが取り付けられています、コンセプトは不明

作業車
トラックには驚く程種類がある、これなどはしばらく見とれてしまった程ややこしいレイアウト、どうもこうした異形の物に吸い寄せられるのは昔からで、怖さと共に謎解きのようなわくわく感があります

どこかの工事に使われるのだろうと思うのだがこうした特殊車は驚く程値段が高い、街で見かける車で好きなのは、スクラップ用の何の装飾もない鉄板の馬鹿でかい箱の車、滅多に見ることは無いのですが出合ったときは結構嬉しい物です、他には完全に鏡面のタンクローリー車、後ろから走ると前のタンクが丁度鏡面ミラーになりこちら側の景色が全部写り混みます

私の家の直ぐ近くに国道2号線があり阪神高架沿いに道幅が広いところがある、今日の写真もそうなのですが、朝早く工事車の待機場所になっているようで見たこともない巨大なビルの構造物が積まれた超ロングのトラックよく停車しております


「八百八分の四百十二橋」橋の西詰めに同じ名の小学校がある、橋の名は「北巽橋」、昨日の橋と似ていなくもないのだがこちらは角、橋の名は北巽なのに町名は「巽北」、同じにしたくない理由があるのかなあ

橋のフェンスの所々が白く塗装されているのが変、落書きにしたらありえない話しで、仕事としたら下手すぎる
てっちゃん
久しぶりの一人鍋、私の大好きなテッチャン鍋、俗に言うモツ鍋である、以前はシマ腸が安く手軽なメニューだったのですが、狂牛病以後内蔵部位急に高くなりその後高いまま、お陰でお鍋にはほとんどお肉が見えません・・・ってこれから入れますねん

私の家近くの商店街にあった焼き肉屋では、生レーバーは勿論のことタンの奥のグランスや美味しい脳みそまでメニューにあったのですが牛肉騒ぎの時に潰れてしまった

前にも一度アップしたが道具屋筋で買ってきたテッチャン専用鍋である、ステンレスの四角い鍋で〆は今回は雑炊で完璧

昨年填ったのはタジン鍋あたりで色々な具材と味付けで何度も食べましたが、タジンは非常に簡単でバリエーションが豊富である、我が家では一人ですき焼きをすることはまず無い、理由は簡単で美味しい牛肉の値段が高いこと、よって焼き肉も長い間食べに行っておりません


「八百八分の四百十一橋」微妙にモダンな「広田橋」、銘板の文字のバランスが問題なのですがここまで控えめにしなくてもと思った次第、何故かボテロの女体のように色っぽい橋であります、出来たのは昭和58年
閉店ガラガラ
昨日の長木橋と今日の地蔵橋の間にあった銭湯「明色温泉」である、残念ながら営業を辞めてしまっている、こういう貼り紙を見ると銭湯オタクとしては辛いものがある、明色って名前に引っかかった、そう言えば昔から明色化粧品ってのがありましたが最近とんと聞きませんな

ここ生野区は非常に銭湯が多く‘96年の古い資料だが81軒もる、私の住む福島区が18軒だからいかに多いかが判る、逆に大阪駅のある北区なんぞは面積は福島区より遙かに広いのだが15軒しかない、住宅地でない区の証かも、その福島区もこの1年で2軒減り今では10軒しか残っていない、勿論銭湯好きの私は18軒とも入浴している

銭湯は普通「○○湯」が多いのだが「○○温泉」というのも結構多い、何処が温泉やねんと突っ込みたくなるのだがそこはそれ

銭湯大好きでブログまでアップしているのだが、風呂屋の数がどんどん減っていくのはさみしい限り、大阪の銭湯の代表格である美章園も数年前に閉じてしまい、いまは源ヶ橋温泉を残すだけ、どちらもこれが銭湯と思うぐらい素晴らしい内装です

生野区は数が多いこともあって、ジャグジーやらスチームバスなどの導入が早く、生野区に住む友人がいた関係で昔から時々入っていたのだが、そのころの福島区にはそんなお洒落な銭湯は皆無で、同じ風呂代なのに羨ましかったのだ


「八百八分の四百十橋」と言うことで今日の橋は「地蔵橋」、この辺りの階段橋はほとんどが路地の突き当たりにある、沢山渡ったが途中で人とすれ違ったことは皆無である、珍しいことにこの階段橋はハイカラで螺旋階段

橋と家が接近していて不思議な感じがいたします、何故か階段の横に業務用のパケット?が置かれていて利用されている、地蔵橋という名だが近くに著名な地蔵があったのかしらね
「浅野潜さんと映画を楽しむ会」
「2階の他人」という映画を見てきました、この作品が山田洋次のデビュー作で1961年、この8年後の1969年に大ヒットとなる「男はつらいよ」が始まっている、松竹では助監督にシナリオを書かせ、その中の優秀な作品を映画化していたのだがこの映画もそうで、一年前が大島渚だったとか

浅野さんのお話が映画の始まる前と終わってから、さらに近くの蕎麦屋での飲み会であるのだが、映画が作られたときの話がリアルタイムで聞けて非常に面白く映画鑑賞の楽しみが倍増する

和製プレスリーと呼ばれていた小坂一也が主演、脇に平尾昌明がでているのだが、この頃だと二人ともトップアイドル時代、山田洋次の名前は知らなくても小坂一也の名前は誰でも知っていた時代である

調べてビックリしたのだが小坂一也はこの時代、毎年10本近い映画に出演する程の大スターになっておりました、決して上手いとは言えない演技なのだが、この木訥としたぶっきらぼうなお芝居が良かったのかしらね

肝心の映画の方だが、新婚の夫婦が借金をして坂の上に戸建ての家を建てるのだが、借金を返済するために2階を夫婦者に貸すことに、借りた夫婦とのドタバタコメディで寅さんに通じる明るくてほのぼのとしたおかしさが随所にありました、56分という異例の短い映画なのですが、内容は充分面白かったのです


「八百八分の四百九橋」この橋も読むのにちょっと戸惑ったのだが、仮名文字の銘板を見たら普通の読み方でした、橋は「長木橋」ですがなかなか訓読みに結びつきません

この辺りの橋にしては珍しく、欄干にブロンズの場違いなデザインのプレートがはめ込まれておりました、橋のデザインは普通なのにプレートだけはアチャラ風のアラベスク模様

覗き
今朝の散歩で霧雨の中、缶ビールを飲みながらママチャリで走る男を見た

「のぞき込む」という言葉はどうも見てはいけない物、秘密の部屋、隙間、人の携帯、それもちょっと危ない感じのギリギリの感覚、崖はかなりの物だが山の上から下界を見てもそれは余り感じない

シュノーケルを付けて潜った経験のある人なら同じ感動を経験していると思うが、突然岩場が落ち込み切り立った崖のような深みの場所がある、これは地上では味わえない事でその上を遊離した体がゆらゆらと落下することなく漂うのである、これは俯瞰と言うより鳥瞰という方が正しいかも

俯瞰は何時もピリピリとした新しい記憶が生まれるのだが、逆に高い山や大木を見た時の仰瞰は、自分よりずっと上の神にも近い尊敬の念が生まれるのは何故だろうか

前にも書いたが、マンションの住居階数の話しで、下の方に住む住民は近所づきあいが悪くないのだが、高層に住む住民はご近所づきあいが悪いそうな、何となく判らぬも無い、つまり次々と都心で建設されている高層マンションは不遜な人間を製造していることになる

ちなみに上の写真は中之島にある昨年何度もTVに登場した検察庁、下の写真は梅田にありながら何時も空いている元サンケイのブリーゼブリーゼの吹き抜け


「八百八分の四百八橋」コメントの書き込みで大阪市の橋の数を調べてくれた友人がいる、H22年の資料によると、大阪市内に所在する橋梁は840 (内48=阪神高速道路及び近畿自動車道)とか

現在408橋なので半分にも達していないことになる、しかし私のメモの感覚では半分以上渡ったと思っていたのだが・・・川は市の境界線になっているところが多く、どちらの市が管理してるか看板を調べないと判らないところが辛い

でその408番目が「中川橋」でこれも階段の歩道橋、プレートだけ銅のキャスティングだろうか緑青がふいている、自転車を階段の下に止めて渡ってきました、この橋シリーズは渡ることを基本としているので車専用の橋は入らないことになる

歩道橋の両サイドは橋の名と同じ中川町であります

下は階段の上から写した川沿いの細い路地、家がギリギリに建てているのが良く解ります、そこをまた自転車がと言いながら私も走ったのですがかなり気を遣う道でありました

フェスティバルホール
「気の小さい選考委員が倒れて都政が混乱しますので、都知事閣下と都民各位のためにもらっといてやる」
これは芥川賞を受賞した田中氏の記者会見での発言である、勿論この前に賞にノミネートされながら何年も落ちたこと、本来なら断るべきの発言の後に続く言葉だったのだが、ビックリと共に拍手ものでよく言った

この発言が絡んではいないと思うが、コケにされた某都痴痔は今回で選考委員を辞退、私は年に2回文藝春秋をこの時だけ買う、某都痴痔の選評を読むのが楽しみだったのだがこれが最後になる

楽しみというのは若手の新しいタイプの作家が出てくると、まともな書評も出来ず毎回けなすだけ、彼の作家生命と言うか能力は議員になったときにすでに消滅しいて、賞の選考委員をするような男では無かったと言うことかも知れません

一枚目はネットより拝借、二枚目の写真は朝の散歩で土佐堀川の歩道橋「越中橋」から撮影した物である、大阪でフェスと言えば中之島にあるフェスティバルホールこと、ビルの名前は新朝日ビル、今年の秋に「中之島フェスティバルタワー」として生まれ変わる

良くできたホールで非常に見やすかった、どちらかというと横長に近く舞台が近い、ただでかいのホールなので3階の一番上から見ると舞台の人は米粒に近かった、キャバは確か2800?かな、‘58年に出来て間なしに何故か入っている、床が真っ赤なぶ厚い絨毯でズック靴がめり込んで驚いたことを思い出した

新朝日ビルが出来る前はこの場所に朝日アリーナというスケート場があり、微かだが滑った記憶もある

色々なイベントで何度も足を運んだホールである、ロックも初期の頃はこのホールを使ったが客が騒ぐので中止になり、ハードな物は府立体育館あたりかかろうじて後からで来た厚生年金ホールがメインに

友達の関係でピンクフロイドのコンサートチケットを押さえたのだが彼女と一緒に来たのが三宅一生でびっくりなどという思いでもある

またこのビルの地下にABCホールがあり、テレビ中継が良く行われていた、私自身イベントで舞台に立ったこともある、その後仕事で「ヤングオーオー」のお手伝いをしたので、毎週収録の度にこのホールに来ておりました

また上の階には取引先の広告代理店があった、20年近くほぼ一日おきぐらい「H」さんに打ち合わせにやってきていて、非常に懐かしいビルでありましたが、さて新しいビルは


「八百八分の四百七橋」カメラ位置は私の顔あたりなので低くはないのだが、高低があるので小さいのだが圧迫感のある橋は「翠岩橋」、「すいがん」さんのお墓や記念館があるようなのですが、その翠岩そのものをよく知りません
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